川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞記者
朝日新聞記者。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを歴任。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
既存の企画と出演者に頼らない 無名のイモトアヤコを起用した勇気
1988年5月5日、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)からの初の生中継を成功させたのは日本テレビだった。登頂した日本・ネパール・中国3国友好登山隊(日本山岳会、日本テレビなど共催)の12人にテレビ隊3人が含まれていた。「世界一高い頂からのパノラマ衛星生中継」という開局35周年記念事業を実現させたのだった。
この快挙から26年後の2014年、日テレの伝統を受け継ぐという使命を受け、バラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」は、タレントのイモトアヤコ(32)を再び世界最高峰に立たせようとしていた――わけではなかった。
「イッテQ」が始まった07年2月から総合演出を務める情報・制作局チーフディレクターの古立善之(44)が、番組に登山を採り入れたのはバラエティーの素材にならないだろうか、という発想からだった。ずっと登っているだけで単調だから、バラエティー向きではない、と言われてきた。
しかし、司会進行の内村光良(54)が番組カレンダー撮影のため09年暮れの冬の富士山に挑んだとき、古立は確信した。「山には個性がある。一つひとつ登っていく価値がある」。もともとは富士山の頂上に雪がかぶっているのを見て、「冬でも富士山には登れるのかな」と考えたところから始めた企画だったが、テレビが伝えていない世界を見つけたのだった。
零下20度、風速20メートルの冬の富士山山頂は、登山の専門家にとって「そよ風」らしい。しかし、慣れない素人には長く滞在できる環境ではない。専門家の指導のもとで訓練を受けたうえ、徹底した安全対策のもと取り組むことにした。「安全第一」に、いくじなしと思われるくらいの慎重な判断のもと、カメラを担当するプロの登山家ら専門家とともに山頂を目ざすことにした。雪道を外れて100メートルほど先回りし登山隊の映像を撮ってまた戻るというカメラ撮影は、素人にはできないのだ。
09年にアフリカのキリマンジャロに登り、海外ロケで体を張るイモトが本格的に山登りに挑戦することになった。10年には欧州のアルプス最高峰モンブランに登頂。12年の南米大陸最高峰のアコンカグアでは天候悪化のため頂上まで200メートルの地点で断念した。
その後、欧州のマッターホルンとヒマラヤのマナスルに登頂した。そして14年5月に山頂を目ざしたエベレスト登山の準備をしていたが、4月の雪崩でシェルパ(ネパール人ガイド)が16人死亡する事故があったため中止を決断した。しかし、