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原発稼働差止め回避のため考え出した理屈[2]

「破壊的被害をもたらす噴火のリスクは無視し得る」という詭弁

瀬木比呂志 明治大法科大学院教授

 3 先の決定要旨引用部分の問題の中核は、「発生頻度が著しく小さくしかも破局的被害をもたらす噴火によって生じるリスクは無視し得るものとして容認するというのが我が国の社会通念ではないかとの疑いがないではなく」という、「社会通念」論である。この「社会通念論」は、後記のとおり従来からほかの裁判所の判断が用いてきたものであり、おそらく、広島高裁認容決定を出した裁判官の中にもこの社会通念論による申立て却下を主張した裁判官がいた(あるいは、この社会通念論が裁判官たちの頭に強くひっかかっていた)のであろう。そうでなければ、この判断が採っていないこんな考え方にわざわざ決定要旨でまでふれる必要はないはずだからである。

拡大阿蘇山の噴火=1953年
 そして、あろうことか、この仮処分を取り消した広島高裁取消決定は、火山ガイドの内容について、「検討対象火山の噴火の時期及び程度が相当前の時点で相当程度の正確さで予測できることを前提としている点においてその内容が不合理である」と明確に述べながら、一方では、「破局的噴火によって生じるリスクは、その発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原子力発電所の安全確保の上で自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、少なくとも現時点における我が国の社会通念であると認めるほかない」、つまり、「破局的噴火のリスクはその発生可能性の立証がない限り現在の社会通念上容認すべきものである」としているのである。広島高裁認容決定が採らなかった社会通念論を堂々と持ち出したのだ。

 しかし、これは非常におかしな判断であり、一種の詭弁、欺瞞である。その理由については先の引用部分で詳しく述べているが、要点を一言で述べると、次のようになる。東京新聞に寄せたコメントと内容は同一である。

 『判決や決定で「社会通念」を判断の基準として用いるのは、わいせつのように、「普通の人の意識」を問題にする必然性のある特殊な場合に限るべきだ。今回の争点は巨大噴火が原発に及ぼす危険性である。時代や社会が変われば人の意識は変わるが、原発は危険性の有無という客観的な事柄が問題なのであり、社会通念を判断基準にするのはきわめて不適切である。私は、裁判官時代、社会的価値や統治と支配の根本原則にかかわるような判決で「社会通念」という言葉は一度も使わなかった。 ・・・ログインして読む
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筆者

瀬木比呂志

瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 明治大法科大学院教授

1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年から現職。専攻は民事訴訟法。著書に『絶望の裁判所』『リベラルアーツの学び方』『民事訴訟の本質と諸相』など多数。15年、著書『ニッポンの裁判』で第2回城山三郎賞を受賞。

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