「破壊的被害をもたらす噴火のリスクは無視し得る」という詭弁
2018年11月28日
3 先の決定要旨引用部分の問題の中核は、「発生頻度が著しく小さくしかも破局的被害をもたらす噴火によって生じるリスクは無視し得るものとして容認するというのが我が国の社会通念ではないかとの疑いがないではなく」という、「社会通念」論である。この「社会通念論」は、後記のとおり従来からほかの裁判所の判断が用いてきたものであり、おそらく、広島高裁認容決定を出した裁判官の中にもこの社会通念論による申立て却下を主張した裁判官がいた(あるいは、この社会通念論が裁判官たちの頭に強くひっかかっていた)のであろう。そうでなければ、この判断が採っていないこんな考え方にわざわざ決定要旨でまでふれる必要はないはずだからである。
しかし、これは非常におかしな判断であり、一種の詭弁、欺瞞である。その理由については先の引用部分で詳しく述べているが、要点を一言で述べると、次のようになる。東京新聞に寄せたコメントと内容は同一である。
『判決や決定で「社会通念」を判断の基準として用いるのは、わいせつのように、「普通の人の意識」を問題にする必然性のある特殊な場合に限るべきだ。今回の争点は巨大噴火が原発に及ぼす危険性である。時代や社会が変われば人の意識は変わるが、原発は危険性の有無という客観的な事柄が問題なのであり、社会通念を判断基準にするのはきわめて不適切である。私は、裁判官時代、社会的価値や統治と支配の根本原則にかかわるような判決で「社会通念」という言葉は一度も使わなかった。
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