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当たり前の常識と正義の感覚による審理を[5]

戦後日本の負の遺産を象徴する福島第一原発事故、非合理的前提を信じた電力会社

瀬木比呂志 明治大法科大学院教授

 僕が『黒い巨塔 最高裁判所』〔講談社〕を書くための準備として最初に行ったのは、原発の安全性を広い視野から客観的に論証している、あるいは少なくともそれを試みてかなりの程度に成功している文献を探すことだった。しかし、原発に詳しい編集者を通じ広い方面から情報を集めてみても、そのような文献を見付けることは難しかった。地震国・火山国という日本の条件をも視野に入れると、ことにそのようにいえた。

 僕が原発訴訟について書物やウェブロンザで書き続けてきているのは、政治的イデオロギーからでは全くない。福島第一原発事故に驚愕してその後さまざまな文献を読むうちに、戦後の日本が構造的に抱えてきた負の遺産を象徴する問題が先の事故であることに気付いたからである。

 先のウェブロンザ記事でも言及した「4つの原発訴訟のために僕が提出した意見書」の結語(長いので相当部分を省略する)を引用して、この論を終えたい。

3号機(右端)が運転を再開した四国電力伊方原発=2018年10月27日、愛媛県伊方町
 『従来、日本において原子力発電を推進しようとしてきた人々、福島第一原発事故後いわゆる原子力ムラの住人とも呼ばれることとなった人々の間では、①全交流電源喪失は30分以上続かない、全電源喪失は起こらない、②日本では過酷事故は起こらない、③日本の原発の格納容器は壊れない、という3つのドグマが、無条件の前提として信じられていた。これは、真に慄然とすべき事態であり、私がこの問題を論じた欧米の知識人の全員を絶句させた「日本の社会の、ある特異な体質」を示す事柄であるというほかない。私は、先のような非科学的、非論理的、非合理的前提をなぜ日本の電力会社、研究者、官僚が信じ、前提としてきたかについて、本当に説明に窮した事態が何度となくある。

 このほか、福島第一原発については、東日本大震災の起こる相当以前の時点で、政府の地震調査研究推進本部地震調査委員会の長期評価等により巨大津波の発生の可能性が指摘され、東京電力は、2008年には、長期評価に基づく津波シミュレーションを実施し全電源喪失に至るおそれを認識していたが、にもかかわらず、最終的に、このシミュレーションに従った津波対策はしないこと、先延ばしにすることを決めたとされている(国会事故調査委員会報告書では、「今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった」と断言している(Web版11頁))。

 福島第一原発事故は、このような3つのドグマ、津波シミュレーションの無視といった恐るべき安全軽視のゆえに発生した人災であることを忘れてはならない。私は、諸外国の人々とも交流する機会が多く、同事故についてディスカッションを交わしたことも数回あるが、この事実を告げると、先にもふれたとおり、すべての知識人は絶句する。なぜ、当該分野で一流とされていた科学者の間にそのような非科学的な3つのドグマを口にする者が相当数いたのか、なぜ代替電源を確保するための電源車すらなかったのか、なぜ到着した電源車すら結局使用に堪えないままに3基もの原子炉で炉心溶融事故が起こってしまったのか。

 同事故は、そのような、他の先進諸国の人間からみればありえない原発管理を平然と行ってきた人々の怠慢によるれっきとした人災であったということを、心ある裁判官は、判断の大前提に据えて、考えていただきたい。そのような人災によって多数の人々が被ばくし、家を追われ、事故原発の周囲には人の立ち入れないゾーンが存在し、事故原発の事後処理すら未だままならないのである。

 私は、日本の文化には多々すぐれた部分があることを十分に理解していると思うが、先のような事態について根本的な反省を行わないまま利権のために再稼働に突っ走る権力、それについて根本的な批判も警告もできていない司法やジャーナリズムの在り方は、大変正直にいって、日本の文化の最も問題の大きな部分、「閉じられた世界の島国根性の弊害」を如実に示しているとも考えざるをえない。

 福島第一原発事故後、初めて司法が原発を止めた福井地裁判決・決定や、稼働中の原発を司法の力で停止させた大津地裁決定などの影響もあり、現在、原発訴訟に関して、司法は、国民の注目を集めている。その中で、大変お粗末な判断も続いていることには、民事訴訟法、民事保全法、法社会学の研究者として、また、長年裁判実務に携わってきた者として、到底見過ごすことができない。

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