大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)
1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
地雷や不発弾の危険地域、子どもたちが望むささやかな夢が実現するのはいつか
「外で遊びたい」「もっとお父さんに会いたい」
「夢は何?」という問いに子どもたちが口にしたのは、ごくふつうの日常生活でした。ウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力との間の紛争が4年以上続くウクライナ東部をこの夏、日本ユニセフ協会の視察に同行して訪れました。各社のモスクワ駐在の特派員もなかなか入れない場所です。少し時間が経ちましたが、現地の状況を記しておくことは重要だと考えお伝えします。私が現地で出会った子どもたちは、「忘れられた戦争」と呼ばれる紛争が続く中、厳しい生活を強いられていました。いまも解決の糸口は見えていません。子どもたちのささやかな願いがかなえられる日はいつくるのでしょうか。
ミーシャ君(10)の誕生日プレゼントは、母親のルボフ・シガヤバさん(30)がやっとのことで手に入れたオレンジ2個でした。
「僕はバナナとオレンジが好きだから」とミーシャ君ははにかんで言います。
ウクライナ東部のマリンカにあるミーシャ君の自宅は、ウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力が戦闘を続ける最前線にあります。2014年以降、激しい砲撃で近くの家々は壊され、ほとんどの住民が避難しました。
でも、ミーシャ君は、地雷原が広がり、いまも砲弾が飛び交う中で暮らしています。父親は姿をくらましてしまい、不在です。母親のルボフさんに仕事はなく、母子家庭に支払われるわずかな手当だけが頼りの生活で、どこにも逃げることはできません。
3年前からは電気も止まり、零下20度以下になる冬は人道援助によって配布される石炭を使って暖をとっています。薪を買う金はなく、ミーシャ君は毎日学校の帰り道に折れた木々を拾っています。
2015年8月には砲弾が庭に落ち、ミーシャ君は頭に大けがを負い、2回も手術をしました。「もしかするとまだ頭に小さな破片が入っているかもしれない。でも、いまは以前と同じようにサッカーもできるよ」とミーシャ君は言います。「いまも続く砲撃は怖くないの?」と聞くと、「もう慣れた。砲撃があったら、一目散に家に戻って窓を閉めてお母さんの横に行くんだ」と話しました。
母親のルボフさんと一緒に写真を撮りたいと伝えると、「お母さんは写真を撮られるのは嫌いだから。僕ひとりで」と堂々と答えました。
ミーシャ君に洋服を提供するマリンカ第2学校のルドミラ・パンチェンコ校長(37)は「彼は、10歳という年に似つかわしくないほど聡明だ。家では唯一の男だから、お母さんを助けよう、守ろうとしている」と言います。
戦争は、子どもたちから子どもらしく生きる時間を奪います。
3年前は砲撃が激しく、子どもたちは学校でもほぼ毎日、地下の防空壕に避難しなくてはなりませんでした。最近は、昼間の砲撃はほとんどありませんが、夜間は砲撃音が鳴り続いているそうです。
防空壕への避難訓練に参加したエカチェリーナさん(11)が「友だちと外で遊びたい」と言えば、アリサさん(11)も「夜に友だちと家を訪ね合って、一緒に過ごしたい」。真っ暗な地下で2人はささやかな夢を話してくれました。
一見、元気そうに見える子どもたちでも、長引く紛争によって受ける精神的な影響は少なくありません。