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「安静3週間」羽生結弦がとる選択肢は?

田村明子 ノンフィクションライター、翻訳家

羽生結弦拡大足首を負傷しながら、ロステルコム杯(ロシア杯)フリーに出場した羽生結弦

 「ジェーニャさん、サンキュウ!」、そう言った後、「ジェーニャさん、ソーリー」と付け足し、悔し涙をこらえるかのようにうつむいた。

 11月17日、モスクワで行われたGP(グランプリ)シリーズ・ロステルコム杯(ロシア杯)の男子フリー。演技を終えてキス&クライに座り、スコアが出るのを待っていた羽生結弦。

 「ジェーニャ」とは、彼が敬愛するエフゲニー・プルシェンコの愛称だ。今シーズンのフリー「Origin」は、プルシェンコが2003/2004年にフリーで滑った「ニジンスキーに捧ぐ」で使用されていた音楽。羽生にとって長い間憧れだったプルシェンコへのトリビュートとして作られたプログラムである。

 羽生が「ソーリー」と言ったのは、彼がこの大会でベストな滑りを見せられなかったためだろう。

以前と同じ右足首靭帯を負傷

退場時、「ありがとうございました」と叫ぶ羽生結弦.拡大優勝したロステルコム杯(ロシア杯)の表彰式のあと、「ありがとうございました」と叫ぶ羽生結弦
 本番の日の朝の公式練習で、羽生は4ループの着氷で転倒し、右足首を傷めた。

 転倒してからしばらく何かを考える様子でゆっくりリンクを何周かした後、観客にあいさつをして氷上を去った。このときすでに、本番のジャンプの構成をどう変えるかほぼ決めていたのだという。

 ちょうど1年前のNHK杯の公式練習中に傷めた靭帯とほぼ同じ場所だった。どの動き、どのジャンプがもっとも負担になるかは本人がよくわかっていただろう。

 「自分でも悔しいとすごく思うのは、去年のNHK杯以降、弱かった右足首がさらに緩くなってしまっているということ。ほんのちょっとの衝撃でも、すぐに大きなけがになってしまうことは本当に悔しい」

 会見でそう語った羽生だった。

 医師にはフリーに出場して滑れば

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筆者

田村明子

田村明子(たむら・あきこ) ノンフィクションライター、翻訳家

盛岡市生まれ。中学卒業後、単身でアメリカ留学。ニューヨークの美大を卒業後、出版社勤務などを経て、ニューヨークを拠点に執筆活動を始める。1993年からフィギュアスケートを取材し、98年の長野冬季五輪では運営委員を務める。著書『挑戦者たち――男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で、2018年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。ほかに『パーフェクトプログラム――日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』、『銀盤の軌跡――フィギュアスケート日本 ソチ五輪への道』(ともに新潮社)などスケート関係のほか、『聞き上手の英会話――英語がニガテでもうまくいく!』(KADOKAWA)、『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)など英会話の著書、訳書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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