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河合薫さん「番組存在の軸が見えない」[19]

テレビの内側にいた人に聞く 映像で「様」を見せてほしい

川本裕司 朝日新聞記者

 好景気のバブル期から「失われた20年」を経て、30年間の平成時代のテレビはどう移り変わったのか。かつてテレビ局や制作会社に所属し、番組の内側をよく知る人たちに、民放の現状についての評価を聞いた。
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河合薫さん 健康社会学者(気象予報士としてテレビ朝日「ニュースステーション」に出演)

--「ニュースステーション」出演のきっかけとは。

気象予報士としてテレビ朝日「ニュースステーション」に出演していた健康社会学者の河合薫さん
 「1994年9月に初の国家試験だった気象予報士の合格発表が気象庁であったとき、『ニュースステーション』のディレクターが地下鉄の大手町駅まで追いかけてきたので、名刺だけ渡しました。その夜7時すぎ、勤務先の気象予報会社・ウェザーニューズの上司から自宅に電話があり、『いまからテレビ朝日へ行ってください』と。会社に立ち寄って天気予報のデータをチェックしたあと放送局に向かい、そのまま出演して天気予報を伝えました」

--なんとも急な。

 「私をはじめ、合格した気象予報士5人が日替わりで出演しました。番組の企画として、合格者から5人をつかまえて1週間出すことになっていたらしいです。ディレクターの裁量で5人を現場で選ぶのですから大胆ですが、『ニュースステーション』はチャレンジングな試みをしていて、『おもしろそうな人を連れてこい』という指示があったようです。テレビに出たいという希望があったわけではないのですが、『わかりやすい』と言ってくださって、12月から毎週金曜、その後に木、金曜に出演することになりました」

--天気予報ではどんな工夫を。

 「スタジオで雲の中身を見せることにしたときのことです。上昇気流の動きは、いってみればおみそ汁の具が上下運動するようなものです。白い小さな物体をドライヤーで吹き上げながら、上昇気流によって雨や雪ができる仕組みを表現しました。白い物体に何を使うか、ドライヤーの風の強弱をどう使い分けるかと、スタッフと一緒に知恵を絞りました。以前の天気コーナーは女性アナウンサーが担当していて、ニュースが押すと短縮されがちでした。私になってから、クッション扱いはやめると言われました。アイデアをひねり、10の材料を集めてはそぎ落とし1つにする作業を繰り返しました」

--スタッフから言われて記憶に残るものがあれば。

 「『様(さま)を見せろ』という言葉です。雲の様子をわかりやすく見せるというのも、その一環でした。映像の力を生かすため、ひと目でわかるようにする新しい工夫を求められました。グラフや図を大型のカードで示すフリップはよく使われますが、安心材料でしかありません。様を効果的に伝えるものとはいえません。その意味で、日本テレビの科学番組『所さんの目がテン!』は音声の使い方を含め、様を見せる工夫に満ちていて勉強になりました。久米宏さんからは『うまくやろうと思わなくていいけれど、もう少しテレビ的にやりたいのなら落語を聞きなさい』といわれ、寄席に行くようになりました。間(ま)を覚えなさい、という意味でした」

--4年余り出演した「ニュースステーション」で学んだものとは。

 「見ている人があした話題にすることをやれ、とよく言われました。新しいことをすることはいいこと、という空気でした。企画コーナーでは『風俗を語るときは政治的に語れ、政治を語るときは風俗を語るように語れ』ともよく言われました。テレビは知的な遊びであるべきだ、という主張だったんですね。渋谷の若者が地べたに座る風潮を、霊長類の歴史にさかのぼりながら取り上げたことを思い出します。あと久米さんはキャスターと名乗らず、司会者だとずっと言ってきたのは『他の出演者をよく見せるのが司会者』という考えがあった、と個人的には理解しています

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