メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

福岡国際マラソンを制した服部勇馬の快走

日本人優勝は14年ぶり、35キロからの失速を克服 男子マラソンが飛躍した今年 

増島みどり スポーツライター

拡大スパートをかけ後続を引き離す服部勇馬=2018年12月2日、福岡市
 2日、平和台陸上競技場発着で行われた福岡国際マラソンは、レース前から12月の福岡とは思えない陽気とともに気温が20度を超え、困難なレースになると予想された。日本中のエリートランナーが集まるレースで出場405人中、完走291人、完走率は7割と数字もそれを示すなか、25歳、マラソン4回目の服部勇馬(トヨタ自動車)が2020東京へ名乗りをあげる会心のレースを走り切った。

 先頭争いを展開していた36キロ過ぎ、給水を終えると服部はわずかにペースを上げた。レース後本人は「スパートのイメージはなかった。少しリズムを変えて勝負してみようと思っていました」と話したが、ツェガエ(エチオピア)、メセル(エリトリア)がみるみる離れて行く。結果的にはライバルを引き離すスパート地点となったが、服部が「勝負」と口にしたのは、36キロからこそ、過去3度のレースに置いての鬼門だったからだろう。勝負に挑んだとすれば、エチオピア勢ではなく、自分自身の過去のレースに対してではないか。

 マラソンレースの高速化が進み、かつてのように前半抑えて後半ペースを上げる組み立ては非常に難しく、そもそもハイペースでスピリットを刻み、さらに35、あるいは40キロからギアを一段上げる、そうしたレースが世界のスタンダードとして求められる。服部はこれまで常に35キロ以降になると失速し思うような結果がついては来なかった。ベスト2時間9分46秒も13位と、練習をレースで活かせなかった一因は、35キロからのマラソンのまとめにあったと分析している。

 給水の後、ストライドは変えないまま、腕と脚のピッチを上げる。解説していた瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーも「このフォームでこんな速いの?」と、時計を見ながら驚いていたように、月間1000キロ以上を走り込んだなかで築いた、強いフォームが「鬼門」からフィニッシュ、2時間9分台から一気に2時間7分27秒の自己新へと服部の背中を押した。

 ゴール後は、「大迫選手たちとはまだまだ(2時間6分台の設楽、井上)タイムはイマイチ」と話していたものの、リズムを変えた35キロから40キロは14分40秒でカバーしており、これは10月、大迫傑(すぐる、27=ナイキオレゴンプロジェクト)が2時間5分50秒の日本記録をマークしたシカゴのレースでの30~35キロ(14分42秒)、今年2月、設楽悠太(26=HONDA)が日本記録を塗り替えた際の同区間の15分11秒よりも速い。

 記録は7分台だったが、約半世紀ぶりに気温が20度を超えたという気象条件と、世界陸上銀メダリストの2位・ツェガエに1分27秒もの差をつけて優勝をもぎ取った点を加味すれば、日本記録をマークした2人に勝るとも劣らないマラソンである。 ・・・ログインして読む
(残り:約1634文字/本文:約2786文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

増島みどりの記事

もっと見る