2018年12月07日
平成も残りわずかである。過去には、大きな災害によって改元されることもあった。文禄から慶長に変わる1596年には、慶長伊予地震、豊後地震、伏見地震が、元禄から宝永に変わる1704年には、直前に元禄関東地震が、嘉永から安政に変わる1854年には、伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震が発生している。改元しても災いは収まらないことが多く、元禄地震の後には、1707年に南海トラフ沿いの宝永地震や富士山の宝永噴火が、安政地震の後には、1855年に安政江戸地震が発生した。さて、新たな時代はどうなるのか。まずは、平成の災害を振り返ってみる。
平成の30年間には北海道から九州まで多くの災害が発生した。平成の初頭は、平成5年の釧路沖地震、北海道南西沖地震、平成6年の北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震と、北海道周辺での地震活動が活発だった。いずれも海の地震である。とくに北海道南西沖地震での奥尻島を襲った津波の印象は強烈で、漁港のある青苗地区では大規模な津波火災も発生した。
阪神・淡路大震災の後、平成12年の鳥取県西部地震、平成13年の芸予地震、平成16年の新潟県中越地震、平成17年の福岡県西方沖地震、平成19年の能登半島地震、平成19年の新潟県中越沖地震と、10数年の間、西日本を中心に内陸での地震が活発だった。新潟県中越地震では山古志村が全村避難し、車中泊によるエコノミークラス症候群も話題になった。新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽原子力発電所での火災や、ピストンリングの工場被災による自動車産業への影響が着目された。また、この間に発生した平成15年の十勝沖地震では長周期地震動による苫小牧のタンク火災が発生し、その後の長周期地震動問題のきっかけとなった。
平成13年に中央省庁の再編があり、内閣府に中央防災会議が移管され、東海地震、東南海・南海地震、首都直下地震、日本海溝沿いの地震についての地震対策が本格化した。地震被害想定が行われ、
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