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元号と地震

 平成も残りわずかである。過去には、大きな災害によって改元されることもあった。文禄から慶長に変わる1596年には、慶長伊予地震、豊後地震、伏見地震が、元禄から宝永に変わる1704年には、直前に元禄関東地震が、嘉永から安政に変わる1854年には、伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震が発生している。改元しても災いは収まらないことが多く、元禄地震の後には、1707年に南海トラフ沿いの宝永地震や富士山の宝永噴火が、安政地震の後には、1855年に安政江戸地震が発生した。さて、新たな時代はどうなるのか。まずは、平成の災害を振り返ってみる。

平成初頭の北海道周辺の地震

 平成の30年間には北海道から九州まで多くの災害が発生した。平成の初頭は、平成5年の釧路沖地震、北海道南西沖地震、平成6年の北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震と、北海道周辺での地震活動が活発だった。いずれも海の地震である。とくに北海道南西沖地震での奥尻島を襲った津波の印象は強烈で、漁港のある青苗地区では大規模な津波火災も発生した。

平成7年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)

拡大阪神・淡路大震災で倒壊した阪神高速道路神戸線からクレーンで運び出されるトラック=1995年1月18日
 平成7年に起きた兵庫県南部地震では、観測史上初めての震度7の揺れで、建築・土木構造物が甚大な被害を受けた。都市直下の活断層が動き、震災の帯が出現した。特徴的なパルス的な揺れで、現行の耐震基準を満足しない既存不適格建築物を中心に10万を超える木造家屋が全壊した。高架道路や鉄道の高架橋が大きく損壊したことで、東西の物流も途絶えた。この地震では、国や自治体の危機管理の在り方が問われ、地震後、我が国の防災体制が整えられた。また、東海地震の地震予知に偏していた地震対策の反省から、地震防災特別措置法が制定され、地震調査研究推進本部も設置された。さらに、既存不適格建物の耐震改修を促進するため、耐震改修促進法も制定された。

西日本を中心とした内陸での地震

 阪神・淡路大震災の後、平成12年の鳥取県西部地震、平成13年の芸予地震、平成16年の新潟県中越地震、平成17年の福岡県西方沖地震、平成19年の能登半島地震、平成19年の新潟県中越沖地震と、10数年の間、西日本を中心に内陸での地震が活発だった。新潟県中越地震では山古志村が全村避難し、車中泊によるエコノミークラス症候群も話題になった。新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽原子力発電所での火災や、ピストンリングの工場被災による自動車産業への影響が着目された。また、この間に発生した平成15年の十勝沖地震では長周期地震動による苫小牧のタンク火災が発生し、その後の長周期地震動問題のきっかけとなった。

中央省庁再編と中央防災会議、地震調査研究推進本部の活動本格化

 平成13年に中央省庁の再編があり、内閣府に中央防災会議が移管され、東海地震、東南海・南海地震、首都直下地震、日本海溝沿いの地震についての地震対策が本格化した。地震被害想定が行われ、 ・・・ログインして読む
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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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