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二つの五輪を結ぶ線と森ビルの再再開発史

武田徹 評論家

環状2号線と「垂直の庭園都市」構想

 そして「垂直の庭園都市」構想は2020年五輪に繋がってゆく。ここでは環状2号線という都心部の幹線道路に注目したい。その道は1946年に戦災復興院によって都市計画決定され、ドッジプランの財政縮小で道幅が当初案の100mより40mに狭められたものの大部分が完成したが、南端の新橋―虎ノ門間だけ半世紀以上も未通のまま残されていた。うかうかしている間に復興が進んでしまい、権利関係が交錯して行政も手を出しにくかったし、外堀通りが並行しておりそれほど交通上の需要が高くなかったためだった。

有明、豊洲方面(上)に延びる環状2号線。左下は虎ノ門ヒルズ、中央左は築地市場。上は最短で来冬の開業見通しと発表された豊洲市場2016年拡大有明、豊洲方面(上)に延びる環状2号線。左下は虎ノ門ヒルズ=2016年
 この未開通部分の運命を激変させたのが、臨海部の開発計画だった。日比谷通り=国道15号に合流して終わっていた当初の路線計画を1993年に変更、貨物駅跡地を再開発して近代的な高層ビル街となった汐留地区の真ん中を貫通させ、さらに築地、そして隅田川を渡って晴海埠頭、有明に至らしめることになった。

 そして計画実行に向けて勢いづけたのが2020年の東京五輪誘致の決定だった。臨海部の選手村や会場を都心とつなぐ交通動線が求められ、環状2号線にその役目が期待されたのだ。

 そんな環状2号線の未開通区間建設に「垂直の庭園都市」構想が生かされる。2002年に東京都が市街地再開発事業として計画決定し、未開通部分は本線を地下トンネル方式に、地上部は「広幅員歩道によるふれあいとゆとりの空間軸」とする2階建てとして作られることになった。日比谷通りや湾岸方面へ通過する車両が虎ノ門側からトンネルに入る入口部分をまたぐように森ビルの虎ノ門ヒルズが作られた。森稔自身は12年に逝去したが、「垂直化」の手法はここにも採用されており、捻出された空間スペースに緑地が組み合わせられる。 

アークヒルズに煙突!

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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