最初から決めていた岡崎の選出、ポーランド戦の長谷部はアップなしで途中出場
2018年12月28日
初のフルマラソン(ホノルル)出場のため行っていた手続き上の審査に時間がかかり、不運にもキャンセルされた12月中旬、西野朗・前日本代表監督はいつものようにシャツとジャケットスタイルでオフィスの応接室に据わった。
ロシアW杯での激務を終えてしばらく、心身ともに燃え尽きたように感じたとも言う。しかし、1992年バルセロナ五輪女子マラソン(有森裕子銀メダル)を現地で応援して以来、「いつかは走ってみたいと憧れてきた」フルマラソンにチャレンジする日々は、どこか「らしく」思えた。
折角練習したのに残念だったのでは、と聞くと、「トレーニングで走りながら、これはハマっちゃうだろうな、と分かった感じがした。走れなかったけれどホノルルと同じ時間にちゃんと走ったんだよ、ハーフだけどね」と笑う。フィジカルにもメンタルにも、西野には常にそんな「現役」としてのマインドが秘められている。(取材・12月13日、都内)
ロシア大会に臨む日本代表23人が発表された5月31日以降、過去史上最高齢となる28歳を超えた平均年齢、2010年南ア大会から3大会連続出場の大ベテランが5人も選考された選考は「オッサンジャパン」「昔の名前で出ていますジャパン」などと批判を浴び、期待は過去最低ともいえる低いレベルだった。しかし西野は揺るがなかった。
「ラージリスト(35人)を発表する前、若い選手たちを選んで(22年W杯)カタールにつなげるといった考え方もあるとは思っていました。実際に、呼ぼうと考え、直接電話で話をした選手たちもいましたが、彼ら自身が、あそこで選考される状況にもの凄く積極的な姿勢というわけではありませんでした。合宿後には(23人から)落選するかもしれないわけですから。一方、4年前のブラジルで悔しい思いをした選手たちの意欲、意識は本当にハンパなかった。本田、オカ(岡崎)、ハセ(長谷部主将)、長友、(香川)真司にももの凄く強い気持ちがあって、あぁコイツら本当に忘れていなかったんだって驚かされました」
5月上旬の視察時に唯一、岡崎慎司(レスター)だけには「何としてもお前のスタイルが必要だ」と、ロシア大会への選考を直接本人に示唆して帰国した。岡崎はハリルホジッチ監督指揮下では長く招集されておらず、さらに足首を負傷し、クラブでの復帰さえ不透明な状況にあった。心身とも疲弊しており、代表監督が訪問したクラブの応接室にサンダルで入室して来たのだという。それは、腫れ上がっていた足首を「こんな状態です」と、隠さず説明するためだった。それでも考えを変えなかった西野との濃密なやり取りは、ある意味で、今大会の日本代表の流れを決めた時間だったのかもしれない。
「帰国した岡崎は東北で山籠もりをして、断食も行い、治療に専念して千葉での合宿に合流して来たんだけれど、まだ動けなかった。今日午前中の練習でもしダメなら、浅野(拓磨)に代えようと最終リミットを定めていたら、その練習で走り切った。奇跡だと思いました。あのスピリットをコロンビア戦でどうしてもピッチで表現してもらいたかったので、3枚目のカードとしてベンチで『オカ!』と交代を告げると、コーチも選手もベンチがエッ、ここで岡崎?と驚いて引いていましたからね。でも岡崎は、やっと出番かと、驚いてなんかいなかった」
「あの時、全く表には出ない日々の練習でも、最後は上げてくるアイツのリハビリへの姿勢、決して諦めないチャレンジは凄かった。岡崎は4年前、コロンビアにやられて寝ころんだブラジルでの芝の感触を本当に忘れていなかったんでしょう。本田も、自分から‘サブでも準備をしている’とポジティブだった。ベルギー戦の後、芝に寝ころんだ感触を忘れるな、と言ったのは、彼らのこの4年の姿勢について残した言葉だった」
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