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東電は08年には津波対策をとる方針を決めていた

大詰めを迎えた福島原発事故東電刑事裁判(上)

海渡雄一 東電刑事裁判支援団弁護団犯罪被害者代理人弁護士

東京電力福島原発強制起訴裁判の被告人質問を受けて会見に臨む告訴団=2018年10月16日、東京都千代田区

刑事裁判のこれまでの経過

 福島原発事故について東京電力の幹部らの刑事責任を問う裁判が2018年年末の論告求刑公判を経て大詰めを迎えています。

 この裁判は、福島現地の住民達が中心となり、全国の市民の賛同を得て結成した福島原発告訴団が2012年6月に福島地検に行った告訴に基づいています。事件は2013年9月に東京地検に移送され不起訴となりましたが、東京の検察審査会による2014年7月、2015年7月の2回にわたる起訴相当、強制起訴の議決によって、2016年2月、勝俣恒久(2002年から社長、2008年から会長)、武藤栄(2008年当時常務、2011年には副社長)、武黒一郎(2008年当時副社長)の三被告人が業務上過失致死傷の罪で起訴されるに至りました。私は、この事件に告訴代理人、検察審査会の申立代理人として、さらに双葉病院で肉親を亡くされた被害者遺族の代理人として関わってきました。

 2017年6月30日に第1回公判が開かれ、既に36回の公判が開かれました。起訴状では、被告人等は、原発の敷地の高さである10メートルを超える津波が襲来し、建屋が浸水して電源喪失が起き、爆発事故などが発生する可能性を事前に予測できたのに、防護措置・原子炉停止などの対策をする義務を怠ったとされています。

 これに対して、被告人とその弁護人等は事故の予見可能性などがなく、また対策を講じたとしても事故は避けられなかったなどとして無罪を主張しています。東電設計によって2008年3月に東電に提出された津波の高さの計算は、明治三陸沖地震の波源モデルを仮想的に用いた試計算であり、現実的な対策の前提のための計算ではないと主張しています。

 そして、この15.7メートルの津波は、福島第一原発の敷地南側における津波水位についての数値であり、東電設計による試計算結果に応じて10メートル盤への津波の遡上を防ぐための防潮堤を設置するとしたら,津波が遡上してくる敷地南側などだけに防潮堤を設置する措置が講じられるにとどまったはずで、それでは事故は防ぐことができなかったし、水密化などの機器の対策は「3・11」前には考慮されておらず、また原子炉を停止することは困難だったと主張しています。

 裁判では、21人の証人が調べられ、2018年10月に被告人質問が、11月には被害者の心情意見が述べられました。12月には指定弁護士による論告意見と、私たち被害者代理人による事実関係についての意見陳述が行われました。今年の3月に弁護側の弁論が行われ、夏までには判決が出される見通しです。

あらためて想起すべき双葉病院の悲劇

 昨年9月には2回の公判をかけて双葉病院等に勤務されていた看護師、医師とケアマネージャーの方々が証言され、関係者の調書が朗読され、双葉病院の悲劇の実相が明らかにされました。これまで、避難の経路が大回りとなり、時間がかかりすぎたことが多数の死亡の原因として指摘されてきましたが、入所者の数が多く、一度に搬送できず、2011年3月12日の1号機の爆発後は放射線防護具の調達に時間がかかり、また、15日の早朝には2号機からの放射性物質漏洩による高線量のために搬送作業が中断されたりしたことも判明しました。まさに放射線に避難作業が阻まれていたのです。この悲劇の実相を明らかにすることも、この裁判の大きな課題です。

政府の地震予測を無視してはならなかった

 裁判の第1の争点は、政府の地震調査研究推進本部(以下「推本」という)の長期評価をどう見るかということでした。福島第一原発は30メートルの高台を20メートル掘り下げた10メートル盤に原子炉建屋、タービン建屋などが建てられており、津波の高さが10メートルを超えれば致命的な事態となることは最初からわかっていました。

 推本は、兵庫県南部地震を契機に1995年7月に作られ、地震に関する多数の専門家を擁する国の地震調査の組織であり、国の防災対策の基本となる地震予測のための情報を提供する機関です。推本は2002年7月に、三陸沖から房総沖の日本海溝沿いで過去400年間に津波地震がなかった福島沖、茨城沖でもマグニチュード8クラスの津波地震(津波被害が大きいにもかかわらず、地震被害がほとんどない地震)が起きる可能性があるとの見解を公表しました(以下「推本の長期評価」という)。関連する地震・津波の専門家のコンセンサスによってこの評価が策定された経過は、気象庁から本部に出向していた前田憲二氏、推本の長期評価部会長島崎邦彦氏、長期評価部会のメンバーで歴史地震学者の都司嘉宣証人によって、余すところなく立証されました。島崎部会長の進行により、専門家による自由な討論を通じて、一つずつ事実を確認しつつ、意見を一致させていったのです。

 東日本太平洋沖地震は、想定外の地震であったといわれますが、島崎氏は「パーツごとの評価は当たっていたが、評価した通りの地震がいっぺんに起きた」ものであると分析しました。決して想定外の地震ではなかったのです。

 津波対策の第一人者であり、弁護側申請の首藤伸夫証人は、推本の長期評価については沈黙しましたが、中央防災会議が7省庁手引き(1997年)を無視し、想定すべき津波(推本の長期評価を含むと考えられる)に対応せず、既往の津波にしか対応しなかったことについて「たいへんがっかりした」と厳しく批判しました。

 「3・11」の2日前の2011年3月9日には、島崎氏らは、貞観の地震・津波(869年)の研究の進展を踏まえ、東北沿岸に襲来する津波が内陸まで達する可能性があるとする長期評価の第二版を公表する予定でした。ところが、

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