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検察は起訴を前提に厳しい捜査をしていた

大詰めを迎えた福島原発事故東電刑事裁判(下)

海渡雄一 東電刑事裁判支援団弁護団犯罪被害者代理人弁護士

元東京電力幹部らの初公判で参議院議員会館に集まった福島原発刑事訴訟支援団の人たち=2017年6月30日、東京都千代田区

2008年6月の会議は10メートル盤上の津波対策を決める場であった

 業務上過失致死傷の罪で強制起訴された東京電力の勝俣恒久元社長ら3人の刑事裁判の中で明らかになった事実についてもう少し述べたいと思います。

 2008年6月10日、東電の吉田昌郎原子力発電設備管理部長、山下和彦中越沖地震対策センター長、土木グループの酒井俊朗氏、高尾誠氏、金戸俊道氏、機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループの担当者らが出席し、被告人武藤栄氏に、地震本部の長期評価を取り上げるべきとする理由及び対策工事に関するこれまでの検討内容等について、資料を準備して報告しました。この会合は、2―3月の決定を受け、津波の高さが10メートル盤を超えた状況での東電としての津波対策実施のための決断を求める場であり、役員の了解が得られれば直ちに対策を始めることができたことが出席者の陣容からもわかります。

 この日の会合は2時間に及びました。酒井俊朗氏、高尾誠氏が行った地震本部の長期評価を採用して、津波対策を講じる方向での説明に対し、被告人武藤氏は結論を示さず、①津波ハザードの検討内容について詳細に説明すること、 ②4メートル盤への遡上高さを低減するための概略検討を行うこと、③沖合に防渡堤を設置するために必要となる許認可を調べること、④平行して機器の対策についても検討することを指示しました。高尾氏は、これらの検討事項は①を除けば、対策実施を前提としたものであり、対策を実施する方向で上層部も動いていると考えていました。

 7月23日には、東北地方の太平洋岸に原子炉を保有する四社(東電、東北電、日本原電、日本原子力研究開発機構)情報連絡会が開催されています。この会議の議事録で、高尾氏は「対策工を実施する意思決定までには至っていない。防潮壁、防潮堤やこれらの組み合せた対策工の検討を10月までには終えたい」と述べています。高尾氏らが、2009年6月のバックチェック完了を見据えて、津波対策実施を急いでいたこと、津波対策をとらないことが決定されるとは、つゆほども考えていなかったことがわかります。

2008年7月31日――運命の日

 7月31日には、土木グループと関連グループ、吉田氏や山下氏らが出席したうえで、武藤氏との再度の話し合いがもたれます。時間はわずか50分です。高尾氏らは状況報告、関係他社の状況の説明、今後とるべきアクションなど、6月10日に示され準備した宿題の内容を説明しました。武藤氏からは説明への反応はなく、おわり数分となったところで、武藤氏は、高尾氏らに対して「研究を実施する」あるいは「研究を実施しよう」と述べたといいます。これを聞いて、高尾氏は頭の中が真っ白になり、残りの数分間どのような話をされたか覚えていないと証言しています。「前のめりに対策を煮詰めようとしていたのに、対策を実施しないという結論は予想していなかったので力が抜けた」と証言しているのです。

 酒井氏と金戸氏は、武藤氏が「研究をやろう」といい、酒井氏が、やるなら電共研(電力共通研究、土木学会の検討の基礎データをつくる研究)と答え、金戸氏は、電事連に(電共研の)申請手続きが間に合うかと酒井氏に聞かれ、「ぎりぎり間に合うのでは」と答え、酒井氏と金戸氏は土木学会に検討を委ねた場合、バックチェックの期限に間に合わず、バックチェックを通らない可能性があると伝えたとも述べています。

 私たちは、この会合の前に、吉田部長、山下センター長、武藤・武黒両氏、酒井氏らが集まる場があり、事前にこの結論を決めていたと考えています。それは、山下調書には、津波対策先送りの方針が、柏崎が停止している中での福島の停止を恐れたためであることが述べられているのに、それが31日の経過の中にないことが不自然であること、酒井氏は、この会合の終了40分後に、東北電力と日本原電、電事連さらには部下に対する追加計算の依頼までを含む用意周到なメールを送っており、会議の結論があらかじめ決まっていたことを示唆していることなどからです。

 実は、2008年7月21日に武藤氏、武黒氏らが出席して行われた「御前会議」の議事メモによると、「新潟県中越沖地震発生に伴う影響額の見通しについて」と題する資料等が配布され、中越沖地震発生に伴う柏崎原発と福島第一、第二原発の対策費用が計上され、津波対策費用は別途と記載されていました。柏崎原発の停止と地震対策の費用の高騰が東電の経営に重くのしかかっていたのです。東電の酒井氏は、2008年8月当時、東海第2原発で津波対策に当たっていた安保氏に対して、東電が津波対策工事を先送りした理由について「柏崎刈羽も止まっているのに、これと福島も止まったら経営的にどうなのかってことでね」と説明したとされる検察官調書があります。

 2008年8月22日、延宝房総沖地震の波源を福島の沖合に置いたときの津波の高さが東電設計から納入されました。その高さは13.6メートル、土木学会で議論を続けても、これ以上想定津波が下がらず、10メートル盤の上の対策は待ったなしだったことがわかりました。しかし、津波対策は、武藤被告人らの経営判断によって見送られ続けたのです。

 2008年9月10日に開催された東電内の耐震バックチェック説明会で配布された「福島第一原子力発電所津波評価の概要(地震調査研究推進本部の知見の取扱)」という資料があります。同日の議事概要には「津波に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事メモには記載しない)」とあり、この文書は会議の終了後に回収されたことがわかります。この文書には「今後の予定」として「改訂された「原子力発電所の津波評価技術」によりバックチェックを実施。ただし、地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記載されています。不可避の対策を先延ばしにしていたことの何よりの証左です。

 そして、東電の「御前会議」の記録には、2009年2月の1回だけを除いて、津波についての議論がなされたことがメールなどにも残されている2008年2,3月の分を含めて、津波の議論の記録が残されていません。しかし、

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