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甚大な建物被害

 住家被害は、全壊104,906棟(186,175世帯)、半壊144,274棟(274,182世帯)、一部破損390,506棟、計639,686棟である。非住家も公共建物が1,579棟、その他40,917棟が被害を受けた。

 被害は、1981年に改定された建築耐震基準を満たさない既存不適格建築物が中心だった。とくに、古い木造家屋や10階建程度の中高層ビルの中間階の崩落、マンションの1階ピロティの崩落などの被害が目立った。神戸市役所2号館や神戸市立西市民病院の被害は象徴的だった。

 当時、多くの人は、地震は静岡で起きるもので、関西では起きないと思っていた。建築構造設計者も例外ではなく、高層ビルの設計では東京や名古屋と比べ、地震の揺れを2割低減していた。

あらゆるものが壊れ社会が止まった

 公共施設等の被害は、文教施設が1,875カ所、道路7,245カ所、橋りょう330カ所、河川774カ所、崖くずれ347カ所、ブロック塀等2,468カ所になる。とくに、神戸市東灘区深江地区で阪神高速道路が635mにわたり17基の橋脚が倒壊したことは、衝撃的だった。また、西宮市仁川では大規模な地滑りが発生し34人が犠牲になった。

 火災件数は、建物火災269件、車両火災件9件、その他火災15件の計293件である。焼損床面積835,858 ㎡で、一昨年の糸魚川市での30,412 ㎡を上回る。焼損棟数は全焼7,036棟、半焼96棟、部分焼333棟、ぼや109棟の計7,574件であり、り災世帯数(火災)は8,969世帯だった。長田区周辺の火災被害は甚大だったが、無風に近かったため、関東地震や福井地震のような壊滅的な延焼火災は免れた。

 ライフライン・インフラの被害も甚大で、電気は比較的早く復旧したが、鉄道、水道、ガスは復旧に時間を要し、被災地の生活は困難を極めた。また東西の物流が途絶えたため、全国の製造業にも大きな影響を与えた。この地震による被害総額は国土庁の推計は約9.6兆円(国土庁推計)、兵庫県の推計は約9.9兆円とされている。

直下の活断層と地下構造が生み出した強い揺れ

 これらの被害を生み出した最大の原因は、直下の活断層の活動による震度7の強烈な揺れである。この地震では、大阪府北西部から兵庫県の淡路島にかけて位置する六甲・淡路島断層帯の一部が活動した。淡路島北部の野島断層では、断層が地表に露出し、断層南東側が南西方向に1~2mずれ、同時に南東側が0.5~1.2m 隆起した。この断層は天然記念物に指定され、その後整備された北淡町震災記念公園で見ることができる。

 神戸市内を中心に震度7の「震災の帯」が現れた。百万人もの人が震度7の揺れを同時に経験したのは後にも先にもこの地震だけである。震災の帯ができた原因として、直下の活断層が活動したことと、神戸特有の地下構造による揺れの増幅的干渉があるとされた。その揺れ方は、 ・・・ログインして読む
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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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