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ゴーン事件契機に「人質司法」を国際語にしよう

五十嵐二葉 弁護士

ゴーン事件は日本刑事手続きの異常さのカタログ

ゴーン前会長が勾留されている東京拘置所前に集まった多くの報道陣=2019年1月15日、東京都葛飾区
 カルロス・ゴーン前日産会長の事件はまだ公判が始まっていない。捜査段階だけだが、それでも日本の刑事手続きの異常さのカタログを世界の前に見せつけた感があった。今後、公判、判決、上訴と手続きが進むにしたがって、増えていく異常さのアイテムで、日本国の国際的評価がどうなっていくのか。気になるところだ。

 日本の刑事手続きが、国際的にどれほどおかしいか。一般の人はもとより、島国の法律関係者自身が、実はほとんど意識してこなかった。

 1980年以来、国連の人権諸条約に合わせて国内で実現しているか、日本政府が国連に報告し、審査を受けることが39年にわたって繰り返され、その都度、国連から人権基準違反の様々な項目について「懸念と是正勧告」を受け続けているのだが(次稿で詳述するように)政府は全く是正しない。

 日本国内では、そんな事実を一般の国民はもとより、法律関係者すらほとんど知らず、関心を示してこなかった。

 「締約国は、委員会に提出した報告並びに委員会の結論及び勧告について、幅広い広報を行うこと」(「2007年8月7日拷問禁止委員会の日本政府報告書審査の結論及び勧告」パラグラフ29)といった国連からの勧告を、政府が無視し続けてきたことにもよるのだが。

 日本の最大の「同盟国」アメリカも、国務省民主主義・人権・労働局が毎年各国の人権状況調査の結果を公表している。2018年4月20日の報告書の日本国刑事手続き部分では、ゴーン事件で今世界から指摘されている点だけ挙げても、「令状は高い頻度で発付され、証拠の根拠が薄弱であるにもかかわらず留置・勾留が行われる」「複数回にわたる被疑者の再逮捕」「起訴前の保釈がない」「起訴前勾留で被疑者は取り調べを受けることが法的に義務付けられている」「弁護人の同席は許されない」「弁護人以外とは接見禁止で、起訴前の勾留の延長を検察官は日常的に請求し裁判所は許可する」等々が詳細に書かれている。

 アメリカの言うことなら何でも聞く現政権だが、人権については全く無視を通してきた。

 明治政府が「司法」=「法を司る」という「訳語」にしてしまった裁判制度は、英米でもフランスでも、Justice、ドイツでもJustiz=「正義」という言葉だ。

 日本では、裁判を「正義にかなっているか」という観点で見るということがほとんど行われてこなかった。裁判所は「法を期待されているように適用して(司って)いるか」を最も気にしている。「誰の」「どんな」期待か。刑事裁判では目前の検察、その背後の政権と見ると、納得できる事件もしばしばあった。その積み重ねの中で刑事手続きは、国際人権基準から離れた独特の発達を重ねてきた。

 ゴーン氏には申し訳ないが、この事件が、日本人に自国の刑事司法制度が世界のレベルからひどく遅れた非人道的なものだったと知らせたことになる。

 アメリカの企業弁護士が『(日本では)いつ警察がドアをノックするか心配で眠れない』と言ったことを紹介し「日本で働く意欲のある外国人に冷や水を浴びせかねない」とニューヨーク・タイムズの日本支局長が書いているという(東京新聞1月18日付)

 国境を超えるトランス・ナショナルで活動しなければならない経済界は、こうした雰囲気を感じ取るのだろう。中西宏明経団連会長が刑事手続きについて「日本のやり方が、世界の常識からは拒否されている事実をしっかりと認識しなければならない」と発言した(日本経済新聞1月16日付)。

 「法の解釈適用」の名によって、政権が自らの方針を、司法を使って実現させている「司法国家」日本。フランスに日産の収益を持って行かれないためと、票田のために、一企業内のクーデターを支援した「官邸案件」といわれるこの事件一つで、日本の国際的評価=国益を大きく損なわないのかが問われている。

 この稿と次稿では、日本の刑事司法が、どのように国際基準に反しているかをゴーン事件で明らかになったカタログに沿ってあげてみる。

骨抜きにされたヘィビアス・コーパス「勾留理由開示」

 年明けのゴーン事件に関するニュースは、ゴーン氏が1月4日、日本の裁判所に勾留理由開示を求めたことで、国外でも大きな関心を呼んだと、報道された。

 この制度は、ヘィビアス・コーパス(habeas corpus:不当に人身の自由を奪われた人を裁判所が保護する制度)や、予備審問(捜査機関によって拘束された人を裁判所が審問して理由がなければ解放し、保釈も決める)の制度を、日本国憲法34条が予定して、刑事訴訟法に取り入れたものと日本の教科書でも解説されている。

 外国では、このどちらかの制度、あるいは両方が法律になって実務化されているので、外国のメディアは、ゴーン氏が釈放されるのではと注目しただろう。

 しかし閉廷後の報道は、ゴーン氏の法廷発言だけで、一部メディアが外国特派員の発言として「『ゴーン氏が拘置所で拘束され続ける状況は正義にかなうといえるのか』と疑問を呈した」と伝えられた(読売新聞1月9日付)くらいで、あとは「ゴーン前会長『無実強調』」といった彼の発言を大きく伝えるばかりだった。

 日本には、ヘィビアス・コーパスも、予備審問もない。「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず」という憲法34条2文前段の保障は骨抜きにされて、 後段の「要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」だけを、刑訴法に6カ条も使って(82~87条)「勾留理由開示」として実効性のない制度にした。

 刑訴法と同じ1948年に「人身保護法」(昭和二十三年法律第百九十九号)を立法してお茶を濁した形だが、これも実効性がないので、全く使われていない。

誰がどこで骨抜きにしたのか

 忘れられない思い出がある。1979年、ドイツ・ハンブルクで開かれた国際刑法学会第12回大会で、私は日本の代用監獄制度の人権侵害をスピーチした。日本からは石原最高検総務部長が来ていて、代用監獄必要論をスピーチした。

 石原氏が日本の刑事訴訟法を英訳したものを会場で配布すると、熱心に読んでいた北欧の人ではないかと思われる2人の若い会員が私のところに来てそのコピーの勾留理由開示のところを指さして「これは良くない。被拘禁者のためのremedy救済措置になっていないだろう?」と言った。配布した石原氏に聞かないで、私に聞くところがおもしろかった。

 当時私は代用監獄と取り調べのことばかり考えていて勾留理由開示のことは頭になかった。「ちょっと待って」と言って条文を読むと、確かに勾留の理由を告げられるだけだ。理由がないと分かれば解放されるのでなければ、不当に勾留された人は救済されない。

 戦後憲法に合わせて改正された刑事訴訟法は、英米法を取り入れ、勾留理由開示は、ヘィビアス・コーパスに由来すると習った記憶があるので、私はその時とっさに、昭和29年に大幅に行われた改悪で解放の部分が削られたのだろうと考え、さっきの2人のところに行って「I think it's changed , bad change 」と言った。2人は「なるほど」と言った感じで深くうなずいてくれた。

 帰国してから念のため改訂歴の入っている六法全書で見たら、改変は細かい手続きだけで、被拘束者解放の制度は制定時から入っていなかった。

 気になって現行の刑事訴訟法の制定過程を調べると、第一次案の第一編総則第九章「被告人の召喚、勾引及び勾留」の部分に「三十二条(新設以下各条すべて新設)「勾留された被告人、その弁護人又は被告人の法定代理人、保佐人、直系尊族、直系卑族及び配偶者は、勾留に対し、勾留状を発した裁判所に異議の申し立てをすることができる」なっていた。現在のように被疑者・被告人が「勾留の理由の説明を聞く」制度ではなく、勾留されたことに異議を申し立てて、解放を求めるまさにヘィビアス・コーパスとして起草されたもので、その最後の条文は「三十五条 異議の申し立てに理由があるときは、決定で勾留を取り消さなければならない」となっていた(法学協会雑誌93巻4号157頁)。

 戦後、日本国憲法は、GHQから英文で示された案に基いて起草作業が進められたことは良く知られている。

 しかし刑訴法が成立した1948(昭和23)年には、米ソの冷戦がはじまって、刑訴法の立案に関わって、憲法と同じように、人権擁護の観点を入れた刑訴法の案を日本側に示していたGHQの担当者らは、あわただしく帰国することになった。

 立案過程で日本の司法省刑事局を援助した団藤重光東大教授をはじめ、制定関係者の「<座談会>刑事訴訟法の制定過程」(ジュリスト551号)は、この過程の貴重な証言だ。

 羽山(忠弘神戸地方検察庁検事正)「最後のぎりぎりでアプルトンさんがいったのですが……『君たちが、私たちのいったことに賛成ならオーケーだ。しかし賛成しなくてもオーケーだ。とにかく時間がないから早くやれ』」(57頁)(という経過で)、横井(大三最高検察庁公判部長検事)「むしろ刑訴の場合は、わりあいにこちらの意見も入れてくれたのではないでしょうか」(49頁)

 団藤「初めから向こうと接触しながら立案をしていましたからね。ここはもうセレモニーだったというといいすぎだけれども……」(49頁)

 と、最後の段階で日本の司法省刑事局の意向がほとんどそのまま条文化された。

 ゴーン事件で、世界から批判されている日本の刑事人権侵害の諸制度もこうして、戦時中の治安維持法体制を引きずり、旧刑訴法を引きずって「新刑訴」の条文となって現在に及んでいるのだ。

 しかし、立法後しばらくは、良い刑事手続きにしたいという戦後の希望を、解釈面で残していた時代があった。

 例えば勾留理由開示について、1953年に刊行された平野龍一「刑事訴訟法」では「開示の結果、理由又は必要がないことが判明すれば、取り消すことになるのは当然である(八七条参照)」(101~102頁)と書かれていて、「第一次案」の三十五条を解釈に生かそうとする姿勢が見られる。

 87条は開示の条文の後にある「勾留の理由又は勾留の必要がなくなつたときは、裁判所は、検察官、勾留されている被告人……の請求により、又は職権で、決定を以て勾留を取り消さなければならない」という一般的な取り消しの条文だ。

 しかし学者らも現在は、勾留理由開示に意欲を失って、解説をせず、無表情にただ条文の文章だけを羅列していたりする(例えば福井厚『刑事訴訟法(第4版)』2009年法律文化社116頁)。

 今、裁判官の中に、「理由開示法廷の結果によっては、勾留を取り消さなければならない」と考える人はないのだろう。

 こんな経過を知らないメディアは当然のように開示手続きを「容疑者や被告がなぜ自らの勾留を認めたのか、裁判所に説明を求める手続き」として疑わない(1月8日付東京新聞)。

 実務で勾留理由開示を請求するのは勾留された者の0.5%未満と言われ、

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