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世界の頂点に駆け上ったジャンパー小林陵侑の偉業

表彰台に立った経験がなかった昨季からジャンプ週間を完全制覇した22歳

増島みどり スポーツライター

 テニスの大坂なおみの全豪初優勝に日本中が湧いていた1月26日、札幌・大倉山ジャンプ競技場(ヒルサイズ137メートル)で行われたスキー、ジャンプW杯では、大坂よりも少し早く、同じく世界ランキング1位の座を獲得している小林陵侑(りょうゆう、22=土屋ホーム)が、「凱旋試合」に臨んでいた。

拡大スキージャンプW杯15戦での小林陵侑の1回目=2019年1月26日。札幌・大倉山
 26日の15戦は風に恵まれず5位だったが、27日の16戦は8位の1回目から2回目には129.5メートルを飛んで5人抜きの逆転で3位に。4戦ぶりに表彰台に戻り「日本で表彰台に立てたのはすごくうれしい。日本でリフレッシュできたので、またいい形で転戦できそうです」と、シャイな笑顔を浮かべた。

 年末年始には、1953年に始まり、W杯よりも歴史のある伝統の「ジャンプ週間」(ドイツ、オーストリアで4連戦)でドイツのハンナバルト、ポーランドのストッフに次ぐ史上わずか3人目の4戦全勝、こちらもテニスのように「グランドスラム」を果たして、日本勢では船木和喜以来(98年シーズン3勝)の総合優勝に輝いた。

 昨季までW杯最高位6位の22歳が成し遂げた衝撃的な偉業に、地元オーストリアの放送局では「一体どこの惑星から来たんだコバヤシ! キミは宇宙人か」と絶叫したという。ジャンプ本場で、いかに驚異と敬意を持って捉えられているか伺える。

 1979年から始まったW杯で、日本選手の最多勝利は、小林を指導する葛西紀明(46=土屋ホーム)の6勝。日本より先にジャンプの本場で、「レジェンド」(伝説)と呼ばれていた師匠の記録を、小林はあっという間に更新。昨年までW杯表彰台にあがった経験すらなく、ピョンチャン五輪も7位だった選手がなぜここまで急激に進化をし、頂点に立ってしまったのだろう。

 小林の偉業を見ながら、陸上男子短距離のウサイン・ボルト(ジャマイカ)を思い浮かべた。2007年大阪世界陸上の200メートルで銀メダルだったボルトが、翌年の北京五輪で100メートル9秒69と空前の世界記録を叩き出した際「わずか1年で……」そんな感想とよく似た感情を抱くからだ。日本でジャンプ競技は大きく報じられないが、それほどの衝撃がある。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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