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[19]改元と地震

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター教授

平成から新たな元号へ

 平成も残りわずかである。自分の人生の約半分を占める平成に対する感慨は大きい。平成が始まったときには、天安門事件やベルリンの壁の崩壊などがあり、その後、冷戦が終結するなど時代の変わり目を感じた。新たな年号も大きな歴史の節目になるように予感する。

 明治以降は、新しい天皇の即位と改元とがセットの代始改元が行われているが、過去はそれだけではなかったようだ。慶応から明治になったときは明治維新による改元である。改元には、代始改元、祥瑞改元、災異改元、革命改元があるそうだ。代始改元は君主たる天皇の交代によるもの、祥瑞改元は吉事を理由とするもの、災異改元は凶事の影響を断ち切るためのもの、革年改元とは、政治変革が起きると言われる辛酉の年と甲子の年に行う改元とのことだ。最近では1981年と1984年が辛酉と甲子の年に当たり、60年ごとに繰り返すが、1864年の甲子年まで行われていた。1924年にできた甲子園球場の名前もここからきている。

災異改元

 本稿の興味の対象は、災異改元である。天変地異、疫疾、兵乱などの厄災を避けるための改元である。これまで、大きな災害が起きると改元されてきた。以下には地震災害との関係について見てみる。

 地震との関わりがありそうな改元としては、938年の承平から天慶、976年の天延から貞元、1097年の嘉保から永長、1099年の承徳から康和、1185年の元暦から文治、1293年の正応から永仁、1317年の正和から文保、1326年の正中から嘉暦、1362年の康安から貞治、1449年の文安から宝徳、1596年の文禄から慶長、1704年の元禄から宝永、1831年の文政から天保、1855年の嘉永から安政などが候補に挙げられる。

京都周辺の地震と改元

 災異改元のうち、承平から天慶への改元の直前には、938年5月17日に京都などで地震があり高野山で被害があったようだ。天延から貞元への改元の直前には、976年7月17日に山城・近江で地震が、また、元暦から文治への改元のときには、1185年8月6日に文治地震があった。

 文治地震については、鴨長明が著した方丈記に「世の不思議五」として記されており、地震で発生する様々な事象が見事に描かれている。

 「また、同じころかとよ。おびただしき大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋み、海はかたぶきて、陸地をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。都の邊には、在々所々、堂舍塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵・灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷に異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも登らむ。おそれの中に、おそるべかりけるは、たゞ地震なりけりとこそ覺え侍りしか。」

 さらに、正和から文保の直前には1317年2月16日に京都で地震があり、正中から嘉暦の直前には1325年11月27日に柳ケ瀬断層が活動したと考えられる正中地震が起きている。さらに文安から宝徳の直前には、1449年5月4日に山城・大和で地震が起きている。

 また、文禄から慶長に移る直前には、1596年9月1日に中央構造線が動いた慶長伊予地震が、9月4日に別府―万年山断層が動いた豊後地震、9月5日には伏見城も倒壊した伏見地震が起き、翌年には慶長の役で朝鮮出兵に出兵した。また、文政から天保に変わる直前には、1830年8月19日に文政京都地震が発生している。

 このように、都のあった京都で被害が生じる地震が起きると、改元されているようだ。現在で言えば、首都直下地震が起きた後の混乱した状況だと思えばよい。

南海トラフ地震と改元

 嘉保から永長に改元された直前には、1096年12月11日に永長地震が起きている。この地震は南海トラフ沿いで起きた東海地震と考えられているが、

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