固定資産税滞納で北九州市に差し押さえられた拠点の本部事務所の土地と建物
2019年02月22日
特定危険は2012年の暴力団対策法改正で警察庁が設けた新制度で、目的は一般市民や企業を襲う組織の壊滅です。暴力団排除に取り組む人や事業所に向け、手榴弾を投げ込んだり、発砲したり、刃物で傷つけたりする事件への関与が疑われた工藤会が真っ先に指定されました。いまも指定が解けていません。警察当局はすべての暴力団の壊滅を目標にしていますが、その最優先に位置づけるのが工藤会です。
14年にはトップら首脳級幹部を軒並み逮捕する「頂上作戦」に着手しました。以後、当局発表の勢力は着実に減っています。夜の繁華街で「いかにもヤクザ」という風体の人たちは目立たなくなりました。一般市民や企業が襲われる事件も起きていません。ところが最近、伝統行事といえる「夜回り」を復活させたり、その主導役である傘下組織の古参組長(71)を事実上のトップにすえたりして動きが急です。
一方で、長く北九州・小倉の中心部にでんと構えている拠点の本部事務所が消える可能性が出てきました。捜査関係者が「暴力団と一般市民との垣根の低さは全国でもまれな地域」と指摘する北九州で、何が起きているのか。職務質問を受けそうになる局面を乗り越えながら、現地で探りました。
警察当局によると、工藤会の起源は戦後間もない1946年、小倉市(現・北九州市)にできた「工藤組」(後に工藤会と改称)とされます。「全国制覇」をもくろんでいた「山口組」(神戸市)との間で60年代には抗争があり、これにかかわった幹部が独立して「草野一家」を結成しました。暴力団組織に分裂はつきもので、山口組も最近になって6代目山口組、神戸山口組、任俠山口組の三つに分かれたのはご承知の通りです。
その後、草野一家と工藤会の間で抗争になり、主に80年代には市街地で発砲事件が相次ぎました。87年に両団体は合併して「工藤連合草野一家」となり、99年に名称を「3代目工藤会」に変えました。いまは「5代目工藤会」と称しています。
2018年末の勢力は、当局によると約570人(準構成員などを含む)です。前年より約40人減ったそうです。最多だったのは08年の約1210人ですから半減したことになります。ただ数字について工藤会関係者は「そんなに減ってはいない」と言います。
当局に勘定させないための「偽装離脱」もあるため、実態はよくわかりません。
福岡県には指定暴力団が工藤会を含めて5つあります。5団体を含めた暴力団の福岡県内最新勢力は約1890人です。最多は工藤会で、道仁会(久留米市)約420人、三代目福博会(福岡市)約190人、浪川会(大牟田市)約190人、太州会(田川市)と続きます。
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