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遺失物、年に396万個。社会変化の波が見える

武田徹 評論家

落とし主を待つ遺失物センターを訪ねる

 まず遺失物管理所は1978年に改築されて現在の5階建てビルの遺失物センターになった。センターで取材に応じてくれた大久保昭二所長によれば「平成29年に拾得された遺失物数は約396万個」だそうだ。開高が数えた時よりもさらに増えた人口が、相も変わらず右に左に、東に西に、南に北にと走り回るのだから「体から遠心分離機にかけたみたいにとび散る」飛沫が増えていくことは予想できたが、開高の記事の遺失物数87万個からなんと約4倍以上となっている。

 改築なった遺失物収容所は1階に落とし主が訪ねる窓口と事務スペースがあり、それ以外のフロアはほぼ保管スペースとなって続々と運び込まれてくる遺失物を迎えている。

 開高と同じように内部を案内させてもらおうとしたが、そう簡単ではなかった。聞けば遺失物の特徴が知らされると、それを手がかりに「自分が落としたものだ」と言ってくる輩が現れかねない。トラブルを未然に防ぐためにセンターではこれまで傘を置いてあるフロアだけを取材に公開してきたのだという。

 「そこをなんとか」と頼み込んで鉄道事業者から落とし物が運ばれてくるフロアの見学と撮影が許された。ゆっくりと上下する人荷兼用の大きなエレベーターの扉が開くと、フロア全体に棚が組まれ、棚の上には土嚢袋のような袋が所狭しと積まれていた。

=撮影・伊ケ崎忍拡大「海鉄」はJR東海での忘れ物=撮影・伊ケ崎忍

 その中に遺失物が入っているわけだが、もちろん中身は見えない。分かるのはその袋がどこからやってきたかだ。たとえば「西鉄」と書いてある袋は、はるばる九州から届いたわけではなく、東京「西」部の多摩地区のJR駅で拾得された遺失物が入っている。同じように「海鉄」というのは、ロマンチックな響きだがJR東海を意味する符号だそうだ。要するに新幹線に乗って東京駅に届いた落とし物が詰められた袋なのだ。他にも東京都を走る私鉄の名前が記された袋がある。

 誤解なきようにしたいが、ここは遺失物の“終の棲家”ではない。運び込まれた遺失物は3ヶ月間保管され、名乗り出る落とし主を待つ。実際、建物1階の窓口ではひっきりなしに来客に応対していたし、倉庫フロアを見ているわずかな時間の中でも袋の中の遺失物を取りに来る職員の出入りがあった。データベースを照合すればその袋にどの日に搬入されたどの遺失物が入っているか分かる仕組みになっており、運良く落とし主と巡り会えた遺失物は引き取られてゆく。

 しかしランデブーが許されているのは3ヶ月に限られる。3ヶ月経つと鉄道事業者経由で運ばれた遺失物は鉄道事業者に戻され、そこで買取業者に引き取らせたり、廃棄処分される。

 ちなみに遺失物法では当初、最低で1年と14日(最長1年6ヶ月と14日間)警察で保管することを義務づけていた。だが所有者への返還は3ヶ月以内に99%弱が済まされ、6ヶ月経てばもはや動きがなくなる。そこで1958年に保管期間を「半年と14日」に短縮するように法改正された(福永英男『遺失物法注解』)。開高が取材したのはこの時期だったが、2007年の改正でそこから更に3ヶ月に短縮されて今に至る。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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