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[26]住宅困窮へと追い込まれる原発事故避難者

支援団体が緊急ホットライン実施へ

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

避難者からSOSの電話

 「避難の協同センター」が設立されたのは2016年7月である。当時は翌年3月末の住宅無償提供打ち切りを控え、福島県や東京都の職員が避難者の戸別訪問を実施していた。

 反原発運動などを通し、原発事故避難者とつながりを持っていた瀬戸さんのもとに、ある避難者からSOSの電話が入ったのは2016年の5月のことだった。

 「もともとつながりのあった都内の母子世帯の避難者から、『このまま、子どもを連れて死のうと思っている』という電話が入りました。避難者として、いじめを受け、地域とのつながりも断っている人でした。緊急に対応した結果、母親は入院し、子どもは施設に入ることになりました。数日後、やむにやまれぬ思いから、専用の携帯を買い、その番号を掲載したチラシを作って、都営団地をまわり、何かあったら相談をくださいとチラシを配布し始めたのが、最初のきっかけです」

 瀬戸さんはセンターを作る際、避難当事者と支援者が一緒になって活動をする団体を立ち上げたいと考えたという。それで声をかけたのが熊本さんだった。

 熊本さんは、もともと東京で働いていたが、退職後は田舎暮らしをしようと思い、福島県田村市に移住。夫婦で原野を鍬で開墾して200坪の畑にし、茄子やキュウリ、ブルーベリーなどを無農薬有機栽培で育ててきた。しかし、原発事故により有機栽培ができなくなり、東京へ避難。自宅は原発から30.5kmの距離で半年間は緊急時避難準備区域だったが、その後、解除されたため、区域外避難者という扱いになってしまった。

 2018年7月11日には参議院特別復興委員会で参考人として招致され、除染後も田村市の自宅の土の放射性セシウムを測定したところ、放射線管理区域の基準の2倍の数値が出たこと、放射性物質が同心円状に拡散したわけではないのに20km、30kmという距離で線を引くことは不合理であることを訴えている。

 2016年当時の状況について、熊本さんは「当時は、私たち避難者にとっては、非常に不安な状態にありました。福島県の職員が来ると、早く出ろと言われるので、みんな構えるわけですよ。精神的に不安を抱えている方がたくさんいました」と振り返っている。

拡大瀬戸大作さんと熊本美彌子さん

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筆者

稲葉剛

稲葉剛(いなば・つよし) 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(エディマン/新宿書房)、『生活保護から考える』(岩波新書)等。

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