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大石芳野が撮る、声なき人々の終わりなき戦争・上

メコンの嘆き/大石芳野写真展「戦禍の記憶」が開幕

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授

レー・ティー・ハイ(80)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った(ベトナム・ベンチェ省、1982年)©Yoshino Oishi
拡大レー・ティー・ハイ(80)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った(ベトナム・ベンチェ省、1982年)©Yoshino Oishi

 「声なき人びとの、終わりなき戦争」を撮った大石芳野写真展「戦禍の記憶」が、東京・恵比寿の東京都写真美術館で3月23日からはじまる(5月12日まで)。大石は40年間にわたって世界各地の戦争の傷痕にレンズを向けてきた。160点を超える作品を展示する大規模な展覧会だ。

 「メコンの嘆き」(上)、「民族・宗派・宗教の対立」(中)、「アジア・太平洋戦争の残像」(下)を柱に、3回に分けて紹介する。

ベトナム戦争を象徴する写真

 20世紀は2度にわたって世界大戦が勃発、「戦争の世紀」といわれた。21世紀を迎えてもなお、世界のどこかで戦争がつづいている。「メコンの嘆き」は、ベトナム戦争で米軍が使用した化学兵器「枯葉剤」の後遺症、カンボジアのポル・ポト政権によるジェノサイド、ラオスにおける不発弾被害の実情に光をあてた。

 憂いを帯びた1人の女性と3人の男性が農地に立つ、1枚の写真に息をのんだ。1995年にベトナム・タイニン省で撮影された親子3代の肖像写真だ。

 農婦ノン(28)の父親ルック(68)はベトナム戦争(1960-75)の際、南政府軍に徴兵されて左脚を失った。ブリキ製の粗末な義足が痛々しい。夫バン・エバン(35)は枯葉剤の影響のせいか、身体が歪曲しノンの肩よりも背が低い。息子トゥイ(8)の背骨も父のように歪む。生まれながら障害をもっており、父の病が遺伝子レベルで引き継がれたと考えられる。

農婦ノン(28)の父ルック(68)は南政府軍に徴兵され左脚を失った。夫バン・エバン(35)は枯葉剤の影響を受け、息子トゥイ(8)の背骨は歪む(ベトナム・タイニン省、1995年)©Yoshino Oishi


拡大農婦ノン(28)の父ルック(68)は南政府軍に徴兵され左脚を失った。夫バン・エバン(35)は枯葉剤の影響を受け、息子トゥイ(8)の背骨は歪む(ベトナム・タイニン省、1995年)©Yoshino Oishi

 「この写真はベトナム戦争を象徴する1枚です。父は元傷病兵、夫と息子は高濃度なダイオキシンを含んだ枯葉剤のため障害者になり、ただ一人健康な娘が働いて家族を養う。ベトナム戦争が何だったのかと問われれば、この写真を指さして『これです』といいたい」と大石は語る。

幼児ほどの背丈と知能しかないトゥー(14)の父は南政府軍に徴兵され、森の戦闘で枯葉剤を浴びた(ベトナム・ソンべー省、1987年)©Yoshino Oishi
拡大幼児ほどの背丈と知能しかないトゥー(14)の父は南政府軍に徴兵され、森の戦闘で枯葉剤を浴びた(ベトナム・ソンべー省、1987年)©Yoshino Oishi
国境北側にも撒かれた枯葉剤で樹や作物を失い、地下壕で長くて激しい戦いを生き抜いたジェム(60)(ベトナム・ヒエルーン村、1982年)©Yoshino Oishi


拡大国境北側にも撒かれた枯葉剤で樹や作物を失い、地下壕で長くて激しい戦いを生き抜いたジェム(60)(ベトナム・ヒエルーン村、1982年)©Yoshino Oishi

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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学教授

1984年朝日新聞入社。写真部次長、「AERA」フォト・ディレクターなどを経て、2016年に退社。新聞社では東欧革命や旧ソ連邦の崩壊など共産圏を取材。17年から現職。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社新書)、『安倍官邸と新聞』(集英社新書)など。

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