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大石芳野が撮る、声なき人々の終わりなき戦争・上

メコンの嘆き/大石芳野写真展「戦禍の記憶」が開幕

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授

枯葉剤被害の写真を捏造といわれて

 米軍が大量に散布した枯葉剤は、北ベトナム兵が潜むとされるジャングルを枯れ野にし、兵士や村人も猛毒を浴びることになった。大石はベトナム戦争による被害が生々しく残る1980年代初頭から現場を取材し、障害をもつ子どもらを撮影、日本の雑誌などで発表した。しかし、「ベトナムの宣伝に乗って捏造写真を撮っている。米軍が散布したものが原因ではない」と写真を頭から否定された。「東南アジアには昔からシャム双生児が多い」という学者まで現れた。

 「東南アジアでは人びとのいのちがいかに軽んじられているかと、半ば怒りを交えながら考えさせられました。人間のいのちよりもイデオロギーや国際政治の関係こそが大事だと主張する渦に巻き込まれまいと、ひたすら踏ん張ることにエネルギーを削がれました」と当時を振り返る。

タバコ、アメ、水などを売る子どもたち(ベトナム・フエ郊外の国道沿い、1982年)©Yoshino Oishi
拡大タバコ、アメ、水などを売る子どもたち(ベトナム・フエ郊外の国道沿い、1982年)©Yoshino Oishi

ポル・ポト政権による大量虐殺の証拠写真

 1970年代にはいると戦争はカンボジアに飛び火、75年にベトナム戦争が終結するとカンボジアでは中国の後ろ盾でポル・ポト政権が誕生する。鎖国状態となった国内では大量虐殺がおこなわれ、170万人が犠牲になったとされる。だが、こうした惨劇が漏れ伝わるようになったのは、70年代末期にカンボジア難民が大量にタイ国境に押し寄せてからだ。

 1980年、大石はカンボジアのカンダール州で虐殺現場から掘り起こされた大量の頭蓋骨を撮影した。「目隠しして後ろ手に縛り、後頭部を棒で殴って殺し、穴に落として埋めた」との証言も得た。しかし、ここでも「捏造写真家」の汚名を着せられた。

 中国との関係を気にする日本のある層からは、「カンボジアで虐殺はなかった。捏造だ」と強く批判され、「白骨化した遺体はベトナム戦争で戦死したもので、穴の周りに並べた」とか「遺骨はプラスティックだ」という、こころない発言をする識者もいた。

虐殺現場は仏寺境内や学校裏庭、ゴム林、田んぼ、雑木林、草原など全土にあった。目撃した人も少なくない。ひとつの穴から約200体、合わせて3000体近くの犠牲者が掘り起こされていた(カンボジア・カンダール州、1980年)©Yoshino Oishi
拡大虐殺現場は仏寺境内や学校裏庭、ゴム林、田んぼ、雑木林、草原など全土にあった。目撃した人も少なくない。ひとつの穴から約200体、合わせて3000体近くの犠牲者が掘り起こされていた(カンボジア・カンダール州、1980年)©Yoshino Oishi

再教育センターの旧ポル・ポト政権幹部。1979年に1000人以上いた“生徒”も、1981年5月には300人に減った。タケオ州では住民の30%が旧ポル・ポト政権の幹部や要員という(カンボジア・タケオ州、1981年)©Yoshino Oishi拡大再教育センターの旧ポル・ポト政権幹部。1979年に1000人以上いた“生徒”も、1981年5月には300人に減った。タケオ州では住民の30%が旧ポル・ポト政権の幹部や要員という(カンボジア・タケオ州、1981年)©Yoshino Oishi

 それでも大石は、ポル・ポトの圧政から解放された1980年代初頭のカンボジアを精力的に取材し続けた。成人は年齢よりも大幅に老け、子どもは同世代の子よりも身体が小さかった。闇をみつめるような暗い眼差しの少女。カンボジア全土でこうした子どもたちを目撃した。

「これまでの写真家人生でもっとも辛かったのはカンボジアとベトナムでの取材を重ねていた15年間くらいです」

 やがて日本の自衛隊が国連平和維持活動(PKO)の一環としでカンボジアに派遣されることになり、1990年代ころから「大虐殺は捏造」という事実を曲げる発言も消えていった。

全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそここにある(カンボジア・プルサット州、1980年)©Yoshino Oishi拡大全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそここにある(カンボジア・プルサット州、1980年)©Yoshino Oishi
ようやく解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長が遅くて身体つきが小さい(カンボジア・バッタンバン州、1980年)©Yoshino Oishi拡大ようやく解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長が遅くて身体つきが小さい(カンボジア・バッタンバン州、1980年)©Yoshino Oishi

「毎年5月から9月にかけては雨期のため雨が多い。土砂降りのなかを走る子ども(プノンペン、1980年)©Yoshino Oishi拡大 「毎年5月から9月にかけては雨期のため雨が多い。土砂降りのなかを走る子ども(プノンペン、1980年)©Yoshino Oishi

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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学教授

1984年朝日新聞入社。写真部次長、「AERA」フォト・ディレクターなどを経て、2016年に退社。新聞社では東欧革命や旧ソ連邦の崩壊など共産圏を取材。17年から現職。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社新書)、『安倍官邸と新聞』(集英社新書)など。

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