2019年03月26日
領空運航禁止国が拡大して、トランプ氏の思惑は中断されたが、グローバル企業が政権を動かし、政権者は人の生命の危険より、自らの政権基盤のための企業保護に働くことを世界の前に見せた。世界規模での問題にはならない事例なら各国で次々と起こっているのだろう。
「経済のグローバル化が一段と進んだ現在、国家主権に拘泥するのは無理がある」(細谷雄一「サッチャー主義の限界」読売新聞3月3日付「地球を読む」)。
国境を突き抜けて(トランス・ナショナル)地球規模で企業が利益を争奪する経済のグローバル化時代に、個別国家の枠組みのままの国内政府は国内経済を掌握するだけでは国家を維持できず、グローバル企業活動を支援・補助する動きをせざるを得ない。
行政府のみならず、「司法国家」として行政に従属する司法権、さらには立法権までもが、国際間の企業競争のために使われる時代だ。
アメリカが中国の巨大グローバル企業を追放するために逮捕、勾留という刑事手続きを「友好国」カナダにも使わせ、孟副会長兼CFOを移送させて自国で刑事裁判にかけようとしているのが華為技術(ファーウエイ)事件だ。孟氏の弁護人は「この国のために良いことなら何でもやる」というトランプ大統領のコメントを引き合いに、「事件の政治的背景を指摘」している(東京新聞3月7日付夕刊)。
日本では「首相案件」として国有地の大幅値下げが問題になった森友事件の籠池夫妻が、300日の拘禁を受けての初公判で「国策捜査、国策逮捕で許せない」と述べた(3月7日付読売新聞)。しかし上田広一元東京地検特捜部長は「捜査はみんな国策だよ」と明言する(朝日新聞3月6日付夕刊「バブル崩壊をたどって」2「『国策捜査』時代が求めた」)。その国策がトランス・ナショナルの企業のために働く時代なのだ。
そして国策刑事手続きの手段として「司法取引」が使われる。
ファーウエイ事件でアメリカの意を受けて逮捕・勾留制度を使ったカナダのトルドー首相は、一方で大手建設会社SNCラバランの贈賄事件で「司法取引で不起訴に持ち込むよう」司法省検事総長に働きかけた疑惑にさらされている(東京新聞3月14日付)。
日本では司法取引2号として華々しく広報されて始まった前会長のカルロス・ゴーン氏の事件では、奇妙なことが起こっている。「有価証券報告書の虚偽記載」を決めたのは起訴されたゴーン、ケリー両氏に西川社長を加えた3人だったと報道されているが、西川氏のみは起訴されていない上、司法取引のsnitch=密告者(日本の司法取引法・刑訴法350条の2での名称は「被疑者又は被告人」)ともされていない。そして奇妙なことに「特捜部は、前会長らを起訴した現段階に至っても、公判前の『訴訟に関する書類』の公開を禁じる刑事訴訟法47条を根拠に、報酬の一部を退任後の受領にして隠していたという基本的な容疑の中身さえ説明していない。司法取引を適用したことも認めていない」(朝日新聞18年12月11日付)と報道された。
「虚偽記載」で司法取引の「本人」として罪で起訴された上で刑の減免を受ける位置にある西川氏を、そう明示しないためには、司法取引事件の形を外すほかない、ということなのだろうか。
企業や経営者の不正が企業内部の中からの司法取引で明るみに出て正されるなら、株主や一般消費者にとっては良いことかもしれない。しかし企業内のある派閥が、自らの勢力の維持・拡大あるいは反対派の追い落としのために司法取引を使うのが「日本版司法取引」であるなら、企業内部は、密告の早い者勝ちの場になるだろう。
また、どの密告を取り上げるのかに、検察の選択が働き、それが政治権力と関係するならば、企業と政権者の関係は、ますます金権的にならざるを得ないし、検察作用は政権者の道具となり下がることになる。そして最終的に裁判所も検察に追随するならば、企業内の不祥事件であっても真相を隠したまま、政権者の考える国策に沿った司法判断で終わる結果になる。
グローバル企業時代には、外国に対抗する国家戦略のために、この国家内作用はさらに統一されていくことだろう。
密告による冤(えん)罪という古来の危惧だけでなく、さらに大きな危惧が司法取引という手続きに懸念される時代だ。
ゴーン氏を3回目の保釈請求で保釈した東京地裁だが「住居に監視カメラを設置する」等々のこれまで例のない多種多数の条件を付けた。
他の国の保釈に似た機能を持つフランスの司法統制(仏刑訴法137~142条)では「決められた区域から出ない」など法定の17の制約項目の中から、予審(又は自由と拘禁)裁判官が個人ごとに何項目かを選ぶのだが、日本ではそうした規定がなく、裁判官(第一回公判までは勾留裁判官)が「指定条件」として自由に決める。ゴーン事件で付された、これまで見られなかった多種多数の指定条件が、「慣例化」することを危惧する意見(読売新聞3月7日付)もある。
しかし筆者がさらに問題に思うのは、日産取締役会に出席するには裁判所の許可を要するという条件に関して、現在取締役の身分のままのゴーン氏が招集を受けた3月12日の日産取締役会に弁護士同席で出席することを、11日に地裁が不許可決定したのだが、その決定にあたって検察官に意見を求め、検察意見書に日産の「①前会長はもはや経営に必要ない②事件関係者が影響を受けて証拠隠滅につながる恐れがある③前会長がいると圧迫されて議論しにくい」との意見書が添付されていた(朝日新聞3月12日付)ことだ。
一方、同じ三社連合のうち「三菱自動車の首脳は12日夜、同社の取締役会への出席を拒否しない意向を示した」(朝日デジタル3月13日)中での、日産側の意見に沿う地裁の決定だ。
裁判所が決めた指定条件内の判断に検察官の意見を聞くべきなのかがまず問題だし、そこに日産の意見書を付けるとは、どういう法的根拠なのか。
会社としての日産は、この事件のうち「有価証券報告書の虚偽記載」では、ゴーン、ケリー両氏の取締役としての起訴に伴う「両罰規定」で起訴されている「相被告」だ。相被告の意見を裁判所がする保釈条件内の手続き判断について証拠にするという規定はないし、証拠でないなら、手続き外の情報によって裁判所が決定をすることは違法というほかない。これまでの実例も、筆者は寡聞にして知らない。
ゴーン氏へのもう一つの訴因「特別背任」では日産は「被害者」なのだが、通常付けられる「被害者と接触しない」という条件とは別に裁判所の許可があれば「①経営に必要ない③前会長がいると圧迫されて議論しにくい」などの日産の意見は、勾留・保釈の法制度と関係ない。
唯一裁判所が法的関係を考えたかもしれないのが「②事件関係者が影響を受けて証拠隠滅につながる恐れがある」だ。「証拠隠滅の恐れ」を勾留・保釈の要件としている日本の制度は、国際的には少数派だ。「証拠隠滅の恐れ」を広く解釈すれば、保釈はすべて認められない。最高裁は、3月13日、精神科医との間で接見禁止の解除の請求を却下した和歌山地裁の決定を「接見による証拠隠滅の現実的な恐れがあるとは言えない」ので違法と判断した。この判決を報じた読売新聞は「裁判所は近年、被告の勾留のあり方を厳格にチェックする傾向を強めており、最高裁決定は、今後の接見禁止の判断に影響を与える可能性がある」と書いている(3月16日付夕刊)。
多数の参加する取締役会という会議の場で、出席する取締役の一人の発言に、他の取締役「が影響を受けて証拠隠滅につながる恐れ」が「証拠隠滅の現実的な恐れ」とは到底言えないだろう。
保釈まで108日の拘束は、国際的には許されない長さとして批判され続けたが、日本では長い方ではない。
「特に特捜部の事件では、保釈に反対する検察側の主張を裁判所が追認する形が長く続いてきた」(読売新聞3月8日付社説「弁護側の戦略が功を奏した」)。検察の準抗告を退けての「異例の『早期保釈』」(読売新聞3月7日付)で「特捜部との二人三脚からも決別した」(朝日新聞3月6日付)と書かれ、裁判所としては検察に負い目を背負ったと感じていた振り子を取締役会出席不許可で、戻したのかもしれない。
国際的批判と、検察に追認する伝統の間で揺れ動く日本の裁判所が、国際的には異常な「人質司法」の抜本的修正に動くことは望むべくもないということか。
しかし「人質司法」は国際語になった状態だ。Hostage justiceという英語は誰がした「直訳」なのか。日本の弁護士の間では「人質司法にjustice正義などない」と批判もあるが、瞬く間に世界的になり、ネットで引くと何十件もヒットする。
カタールの衛星テレビ局アルジャジーラまで
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