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イチローはなぜ、大リーグで活躍できたのか?

選手、指導者、審判、そして観客の視点からたどる「イチロー論」

鈴村裕輔 法政大学国際日本学研究所客員学術研究員

 「自分のストライクゾーンを持っている」

 次に紹介するのは、ドン・ベイラー氏によるイチロー選手の評価だ。

 1970年にボルティモア・オリオールズに昇格して以来、1988年に引退するまで19年間にわたって大リーグで活躍し、1979年には打率.296、36本塁打、139打点、120得点で打点王と最多得点を記録して最優秀選手に選ばれるなど、1970年代から1980年代を代表する打者の一人であったベイラー氏は、イチロー選手を高く評価した一人だった。

 2005年にマリナーズの打撃コーチを務めていたベイラー氏は、実際に接したイチロー選手を「自分のストライクゾーンを持っている」と指摘する。

 ベイラー氏によれば、優れた打者は自分だけのストライクゾーンを持っているし、自分のストライクゾーンに忠実だという。そして、これまで打者として「超一流だ」と言われる選手はほとんど例外なく、他の選手からするととても打てそうにはない、あるいは打つのがためらわれる球でも平然と打つ。

 こうした選手はしばしば「悪球打ち」と言われる。しかし、実際には自分が打ちやすい球を打っているのに過ぎないのであり、彼らは決してあたりかまわずバッドを振っているのではない。むしろ、自分が打てる球だからこそ、ワンバウンドした球でも外角を大きくそれる球でも、あるいは目元を通る球でも打てるのだ。

日米通算の歴代最多安打記録を抜く4257本目の安打を打ったイチロー。右翼線への二塁打だった=2016年6月15日、米サンディエゴ拡大日米通算の歴代最多安打記録を抜く4257本目の安打を打ったイチロー。右翼線への二塁打だった=2016年6月15日、米サンディエゴ

強みになった「意外性」

 さらに、ベイラー氏がイチロー選手を評価する要素としてあげたのが、「意外性」だった。意外性とはマジックやトリックではない。対戦相手も仲間も、そして自分自身でさえ「そんなことは絶対ないだろう」という場面で「絶対ない」はずの打撃をできることだ。

 意外性の典型例は、「本塁打を打つはずのない選手が、狙って本塁打を打つ」、あるいは「強打者が送りバントをする」というものである。別の言い方をすれば、意外性は「出来るのにやってこなかったことをする」あるいは「意図して相手の裏をかく」ということだ。

 一般に、イチロー選手は凡打を安打にする走力の持ち主といわれる。裏を返せば、非力な打者とみられている。しかし、実は彼は必要な時に本塁打を打つことができるし、その気になれば本塁打を量産することも可能であった。ベイラー氏は、そのような能力を持っているにもかかわらず、長距離打者の道を選ばなかったことが、イチロー選手の意外性を形づくる要素だと指摘する。

 塁が埋まっている場面で「本塁打を打たれるかもしれない」と思うと、相手バッテリーは、大量失点を避けようとどうしても慎重な投球になる。これは、イチロー選手の持つ意外性が相手の投球の選択肢を狭めていることに他ならない。要するに、意外性を持つことで相手の投球を制約し、自分の立場を相対的に有利にしているのである。

 「打者であれ投手であれ、一流といわれる選手には監督やコーチは不要だと思われるかもしれない」と前置きしつつ、「イチローのような選手でも、年に一度や二度はどうしても抜け出せない不振に陥ることはあるし、自分では好調だと思っていても、少しずつ調子が崩れている時もある。こうした時に、選手の相談に乗ったり、雑談をすることがコーチや監督に求められる大きな役割なのだ」と言うベイラー氏ならではの「イチロー像」は示唆に富む。

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筆者

鈴村裕輔

鈴村裕輔(すずむら・ゆうすけ) 法政大学国際日本学研究所客員学術研究員

1976年、東京生まれ。法政大学国際日本学研究所客員学術研究員。法政大学大学院国際日本学インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士課程修了・博士(学術)。専門は比較文化。主著に『メジャーリーガーが使いきれないほどの給料をもらえるのはなぜか?』(アスペクト 2008年)、『MLBが付けた日本人選手の値段』(講談社 2005年)がある。日刊ゲンダイで「メジャーリーグ通信」、大修館書店発行『体育科教育』で「スポーツの今を知るために」を連載中。野球文化學會会長、アメリカ野球愛好会副代表、アメリカ野球学会会員。