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30年の苦闘と栄光と未来が混じるボリビア戦勝利

平成最後のサッカー日本代表戦、中島の決勝ゴールと乾、香川の新しい役割

増島みどり スポーツライター

 不思議な巡り合わせは、こんな風にさりげなく起きているものだろう。

 3月26日、4月1日に新年号が発表され5月から使われるため、平成最後となる日本代表戦「キリンチャレンジカップ2019」(対ボリビア)が、神戸・ノエビアスタジアムで行われた。

 日本サッカー界の「平成」を振り返るとすれば、「ドーハの悲劇」ほど強烈なインパクトを持った歴史はなかったかもしれない。1993(平成5)年、カタールのドーハで、当時1994年アメリカW杯のアジア最終予選に臨んでいた日本代表は後半ロスタイム、勝利を目前に体を張って残り時間に耐えていた。しかし、イラクに同点とされ(2-2)、その瞬間、W杯初出場は夢と消えてしまった。

 日本中がぼう然と立ち尽くした「悲劇」のピッチにいた森保一監督は、「あれほど辛い経験はこれからも二度とないでしょう」と、いつも口にする。

 ぼう然とピッチに座り込んだボランチは、四半世紀が経ち、日本代表監督に就任。その人がボリビア戦でピッチに送り出した一枚の切り札、中島翔哉は今、悲劇の地・カタールドーハ(アル・ドゥハイルSC)でプレーをする。悲劇など知らない、1994年生まれのMFが鮮やかな決勝ゴールを奪って、日本は1-0で平成最後の代表戦を締めた。

 悲劇の当事者と、それを反発力に力強く歩んできた日本サッカーを象徴する若き選手。平成最後のピッチで両方の点と点がつながり交差した不思議な瞬間だった。

拡大ボリビア戦の後半、決勝のゴールを決める中島=2019年3月26日、ノエビアスタジアム神戸
 中島は試合後、「全員でつないだパスを決められて良かった。判断としてはファーを狙う手もありましたが、相手が(GK)の身長が高かったので股(抜き)を狙った」と冷静に話した。森保監督は、この試合が平成最後になると選手に話をしていたと明かした上で、こう続けた。

 「ひとつの大きな区切りとして勝てたことは良かったと思う。先人の苦労があって今がある。我々はこれに満足せず、さらに前に進む日本代表であり続けたい」

 あまりの絶望にピッチにしゃがみ込み、そこから這い上がったフットボーラーの言葉は重い。実際に、ピッチの様子は代表の進化を如実に物語っている。1月のアジア選手権(準優勝)ではスタメン全員が現在、海外でプレーする選手だった。

 しかし、ボリビア戦では、香川真司と乾貴士を除く先発全員がJクラブのアカデミー、下部組織でプレーした経験を持つ選手だった。 ・・・ログインして読む
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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