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記者は「国民の代表」の役割を果たしているのか

溶解する権力と報道の境界、「令和」時代に「平成」の轍を踏むな

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授

「代表でない」と国民にそっぽを向かれたら……

拡大新元号に関する安倍首相の記者会見には多くの報道陣が詰めかけた=2019年4月1日

 既存のマスメディアに不信感を抱く人たちが増えていることは、周知の事実であろう。ここでは私が引っ掛かりつづけている二つの事例をあげる。東京電力福島第一原発事故の際の屋内退避(自宅待機)地域に組織ジャーナリストが取材に入らなかったことと、やはり組織の記者がフリーランスを戦場に残して撤退したことだ。

 2011年3月、東日本大震災が発生、津波の影響で福島第一原発が爆発事故を起こした。放射能が拡散するなか、多くの避難民がでたが、たとえば福島県南相馬市など住民が屋内退避するところに、ほとんどの組織ジャーナリストが行かずに電話取材ですませた。

 イラク戦争が勃発、米軍などの首都バクダッドへの攻撃を前に、同地で取材していた日本の新聞、通信社、放送局の組織ジャーナリストが2004年秋、談合したかのように一斉に撤退した。ある放送局は現場に残留する日本のフリーランスに機材を預け、結果として仕事の肩代わりをさせることになった。

 いずれのケースも「記者の安全を優先する」という本社からの「業務命令」だった。異議を唱える記者もいたにはいたが、結果的には従うことになった。だが、現場を放棄する組織ジャーナリストに「国民の知る権利の負託を受けている」と見えを切ることができるのだろうか。

 原発事故ではそこに住民がいるにもかかわらず現場取材をせず、戦場には組織のバックアップのない空身のフリーランスが残った。細心の注意を払いつつ、なんとしても取材しようとするのが、まっとうなジャーナリストであろう。こうした努力を払わずに「現場から逃げるマスメディア」に国民は信頼感を抱くだろうか。

 「記者は国民の代表とする根拠を示せ」という首相官邸の発言は、マスメディア側にとっては看過できないものかもしれない。しかし、ジャーナリストとしてやるべきことをやらず、国民の側から「われわれの代表でない」とそっぽを向かれたのなら、それこそ万事休すである。

 「われわれは国民の代表で知る権利を負託されている」と、胸を張れるマスメディアはどれほどあるのだろうか。

権力との距離が問われるNHKの政治報道

 ここでNHKの政治報道について考えたい。

 安倍晋三首相は1月6日放送のNHK「日曜討論」に出演し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設計画で「土砂を投入していくにあたって、あそこのサンゴは移している」と発言。この内容の真偽を確かめないまま放送した。玉城デニー知事は翌日、ツイッターで「現実はそうはなっておりません」と反発した。

 「あそこのサンゴは移している」発言は、事実と異なるものであったが、NHKはそのまま流した。収録から放送まで丸1日以上あり、 ・・・ログインして読む
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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学教授

1984年朝日新聞入社。写真部次長、「AERA」フォト・ディレクターなどを経て、2016年に退社。新聞社では東欧革命や旧ソ連邦の崩壊など共産圏を取材。17年から現職。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社新書)、『安倍官邸と新聞』(集英社新書)など。

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