当面のシステムでは瞬時の認知判断が必須の責任だ
2019年04月19日
自動車の運転中にスマートフォンやタブレットなど(以下、スマホ)を使用する「ながら運転」の罰則強化を盛り込んだ道路交通法改正案が3月に閣議決定され、おそらく今国会(会期は6月26日まで)で可決され今年中に施行される、と報じられている(2019年3月8日朝日新聞等)。国民普及率8割とも言われるスマホを誰もが自信満々に使いこなし、あらゆる状況で検索し、リアルタイムに近い返事を最優先する世の中となった。その「自信満々」の中に自動車や自転車の運転はもちろん、ここでは歩行も含めた公共空間での“ながら自己移動”が含まれており、周囲不注意による死亡や負傷等の事故が多発していることは世の報道のとおりだ。そしてその事故件数の背後に膨大な数のヒヤリハットがあり、少なくともそれらを道路上で行った場合の規制はすべて道路交通法に定められている。
歩行者といえども交通事故の責任がゼロではないケースもあり、罰則がないだけでその善管注意義務は広く認められていて、さらには公道であろうがなかろうが公共空間一般に同じ注意力が必要とされる。刑事で問われずともぶつかった相手の損害賠償は発生しうる。実態がいかようであってもその建前論は誰も否定できない。そしてスマホ起因の交通事故件数はこの10年で倍増、2018年の死亡事故は42件となっている(警察庁公表)。
その例外としてイメージされているのが、自動車のいわゆる自動運転だろう。今回の道路交通法改正でも、段階を追って実現している安全運転支援システムについて「運転」すなわち運転手の責任に帰する行為を明確にした。具体的には渋滞中の高速道路での追従低速走行機能を想定して、運転者がすぐに適切に操作を引き継げる状態でいれば、スマホなどの使用や画面の注視などを認めることになろうとしている。逆に言えばこれ以外は見つかり次第取り締まりの対象だ。
筆者はこの点「「自動運転車社会」の啓発と社会運動が今こそ必要」(WEBRONZA2016年7月19日)「“全自動車”はGoogle Carのように簡単ではない」(同2013年9月13日)「「責任をもって止まる」の先にしか、自動運転の未来はない」(同2014年2月21日)など繰り返し述べてきている。本稿についても結論は「自動運転であろうがなかろうが、車を止めればすべては解決する」である。
ヒヤリハットのすべての原因が「操作」ではなく、前段階の「認知」「判断」にあること、つまり手・足・目・耳・口の問題ではなく脳の問題であることは、だいぶ前から交通工学の世界で科学的に証明されている。筆者も10年以上前の学術発表の場で、ハンズフリー電話でもラジオ聴取でも、考え事で頭がいっぱいの状態でも、さらには単なる寝不足でも、認知判断から操作を始める時間はほぼ同じ、その結果のヒヤリハットの可能性もほぼ同じ、という結果を複数見せられた。スマホをタップする姿はその認知判断力低下状態の証明だから“現行犯”で取り締まられる、というわけだ。
自動車交通とくに道路インフラの構造を変えないまま自動車だけを自動運転させる限り、人間でもAIでも永遠に“自己責任”を負う。その責任をまっとうできる十分条件は「雑念自体が一切禁止された運転手」だというのが道路交通法の暗示するところである。同法を所管する警察庁は、
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