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アメトークの西成ネタを考える

「やばい」「こわい」という言説はどこから来て、どこへいくのか。

武田緑 教育コーディネーター

❶「社会的スティグマ」というものが差別を正当化する。

 社会によって、個人や特定の集団に対するネガティブなレッテル、烙印のことを「社会的スティグマ」と言う。西成の街や西成高校には、まさにこの社会的スティグマがへばりついていると言える。

 スティグマを背負った人たちを蔑み、差別することが正当化され、「当たり前のこと」とされていく。西成高校の生徒たちも、西成に暮らす人たちも、嫌な思いをたくさんしてきた。

 例えば、バイトの面接で履歴書を見た雇用主に眉をひそめられる。「彼氏は西成に住んでいる」というと親から「大丈夫なの?」と耳打ちされる。そんな中で、出自や母校を隠している人も少なくない。

 今回の報道はスティグマの表出であると同時に、スティグマをさらに強化するもの。「こんなの普通にOKでしょ」というスタンスは、生きづらい人を増やすことにこと他ならない。

❷貧困と差別によって困難な状況が世代を越えて連鎖する。

 差別が貧困を産み、貧困が差別を産み、負の連鎖が続いていく。

 これは図で説明する方が分かりやすいと思うので、見てもらいたい。

拡大

 貧困と差別がその人たちから機会を奪い、力を奪い、非社会化・反社会化するリスクが高まっていく。

 これは、いわばある属性の人たちの生活の実態として立ち現れた"もう一つの差別の姿"とも言えると思う。そして、実態として現れた差別は、新たな差別と偏見を産む。

 「やっぱり西成の人ってこわいじゃないか」「治安が悪いのは事実だ」「行かない方がいい」といった、まさに今回の件でTwitterに溢れているような無数の声。それがまた西成の人や西成高校の生徒をしんどい状況に追いやっていく。

 生徒に「いくら頑張っても、私ら所詮、西成高校やもん」と、言わせているのは一体誰なのか、考えてみてほしい。

 西成高校は、今"荒れている"というような状況ではないと私は認識している。また、たとえ当時"荒れて"いたとしても、それは社会的に厳しい状況に置かれている子どもたちのしんどさの表現であり、SOSでもある。これは大人でも同様で、"困った人"は実際は困っている人だ、というのは福祉や教育の世界では普通に認識されていることだと思う。

 西成高校は、そのような生徒のSOSにも、ずっと向き合ってきた学校だ。この負の連鎖に楔を打つような人権学習・反貧困学習や、生活指導や、仲間づくりをしてきた。学校自体が、強固なスティグマを背負わされながらも、子どもたちと地域の抱えるしんどさを、どうにかしようとしてきた。

 その人、その子、その家族、その地域に現れている問題は、その個人やその地域の問題でのみあると考えるのは不十分だと思う。その問題を生み出す社会的背景や社会構造を見つめたり、そこに考えを向けられる人が増えてほしい。

❸「不当な一般化」がさらなる排除を生む。

 例えば一件の自転車盗難が起きたとする。大阪市の北区で起これば「たまたま」「北区でもこんなことあるんだねえ」となることが、西成区で起これば「やっぱ西成はやばい街だ」と言われる。

 日本人が犯罪を犯しても「そういう日本人もそりゃいるよね」という話になるけれど、外国人が犯罪を犯したら「やっぱり外国人を受け入れると治安が悪化する!」というような反応になる。これを「不当な一般化」と言う。

 普通に想像できると思うが、これは、上記の社会的スティグマを負う人や集団・地域に対して、すごく起きやすい。

 割合は違うかもしれないが、どこの地域にもいろんな人がいる。どこの地域でもいろんな事件が起きる。

 Twitterには「西成でこんな事件があったんだって」とか「西成でこんな目にあった」と言う書き込みが溢れていたが、二次情報で信ぴょう性の疑わしいものもたくさんある。個人の経験を書き込んでいるものにしても、それって1回の出来事を「西成だから起きた」と不当に一般化している側面はないだろうか。

 私の友人は、先日家族旅行で西成の安宿に泊まったのだそう。地元のおっちゃんに「どこ行くねん?!」と声をかけられて、そのまま町案内をしてもらい、「気取らなくて面白い町だなぁ」と子ども共々大いに楽しんだそうだ。怖い町だという偏見を持っていたら、声をかけたられたこと自体も恐怖に感じたかもしれない。

 私たち人間は、簡単にフィルターを通して世界を見てしまうのだ。その自覚が一人ひとりに必要ではないだろうか。

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筆者

武田緑

武田緑(たけだ・みどり) 教育コーディネーター

Demo主宰。教育コーディネーター、人権教育・シティズンシップ教育ファシリテーター。民主的な学び・教育=デモクラティックエデュケーションを日本中に広げることをミッションとして、教育関係者向けの研修の企画運営、現場の課題解決のための伴走サポート、教材やツールの開発・提案、キャンペーンづくりなどに取り組んでいる。シティズンシップ教育、人権教育、オルタナティブ教育、学校と学校外の協働、子どもの参画、ファシリテーション、ワークショップデザインなどが専門。「教育」をテーマにした学校や教育委員会等からの依頼はもちろん、「まちづくり」や「人権」をテーマに行政や企業からの講師依頼も多い。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです