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野村克也氏が語る妻・沙知代と生きた人生

人の命の儚さを知った突然の死。家中サッチーだらけなのに、おまえだけがいない

丸山あかね ライター

「いいカモをみつけた」と狙われて

 二人が出会ったのは、野村さんが35歳にして、南海(現・ソフトバンク)の選手と監督を兼ねていた70年の8月のことだった。後楽園球場で行われた東映フライヤーズとの3連戦のために上京し、訪れた行きつけの中華料理店のママに、たまたま紹介されたのが馴れ初めだ。

 「サッチーは野球には疎くて私のことも知らなかった。俺のことを知らない日本人がいるのかとビックリしましたよ(笑)。ところが私が野球選手だと知ると、息子に電話して聞いてみると言って席を外して、戻ってきた時には息子達が有名な選手だと言っているとホクホクしてた。あの時、サッチーはいい鴨を見つけたと思ったんだろうね。経済的にというより、息子達に尊敬されたいという気持ちが強かったんじゃないかな」

 なによりも出会ったタイミングが絶妙だった。

 「当時、私は既婚者だったけど妻とは別居中だった。妻に男ができたというので情けないやら悔しいやら。サッチーは3つ年上だったこともあって話しやすかったんだね。よせばいいのに、つい心の内を話してしまって……。こっちは傷心なうえに隙だらけだったわけで、これも『よし、イケる!』と彼女を奮い立たせた大きな要因の一つだったに違いないと、今になればわかるんだよ」

出身地も生い立ちも経歴もすべて嘘

拡大野村克也さん
 野村さんは沙知代さんのどこに惹かれたのか?

 「足が綺麗で(笑)。それに英語が話せると聞いてグッときた。こっちは野球バカで勉強なんかしてないでしょう。そのせいかインテリな女性に強い憧れを抱いてた。どこで英語を覚えたの? と聞いたらコロンビア大学だと言うので感心してしまって。でもそれは嘘だった。あとで知ったことだけど、彼女はアメリカ人と結婚していた時期があったんですよ。学歴だけじゃない。私が訊いた彼女に関することは全部、嘘(うそ)でした」

 すでに沙知代と名乗っていたが、本名は芳枝だった。東京出身と言っていたが、福島の農家の生まれだった。前の旦那は老舗デパートの御曹司で日本人、上の子は養護施設から引き取った、下の子は前夫とのあいだに生まれた子だと聞いていた。

 「上の子のダンはどう見てもハーフだったけど、下の子のケニーは日本人の顔をしてたから信じた。どうやらサッチーはアメリカ人と結婚していたことを隠したかったんだね。でも、なぜ嘘をついたのかと尋ねたことはない。知ったところで意味のないことを詮索してもしょうがないでしょう。嘘をつかれたからといって別れようとも思わなかったね。嘘をついてまで自分と一緒になりたかったのかと思ったら、返って愛しくなりましたよ」

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筆者

丸山あかね

丸山あかね(まるやま・あかね) ライター

1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など