丸山あかね(まるやま・あかね) ライター
1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
人の命の儚さを知った突然の死。家中サッチーだらけなのに、おまえだけがいない
やがて二人が交際していることが広まり、マスコミから不倫関係だと叩かれた。
「ところがサッチーは球場に出向いては、コーチや選手をつかまえて『アンタ、もっとしっかりしなさいよ!』『アンタのせいで勝てないのよ!』などと喚き散らしていたらしい。ある日、選手達から『監督は知らないのか?』と詰め寄られて、とんでもないことをしてくれると思ったけど、私を思う彼女なりの応援だとわかっていたので叱ることはしなかった。
ついに球団の幹部達に呼び出され、仕事を取るのか、女を取るのか迫られて、『彼女を選びます』と伝えたら、みんなキョトンとしてましたよ。その時の心境? 仕事は他にもあるけど、彼女は一人しかいないと思ってた」
1973年に二人の息子である克則さんが生まれ、その5年後に前妻との離婚が成立して入籍。沙知代さんの二人の連れ子も野村さんの子供となった。
「これで安泰だと思ったのか、あっという間に支配下に置かれました。浮気したこともない。彼女はすべてが思い通りにならないと気が済まない女でね。私は酒が苦手だから銀座へ繰り出してホステスにちやほやされても白けてる。ただ女には弱いから、連絡先を訊かれたら教えるでしょう。営業電話がかかってくるわな。それをサッチーにみつかって携帯電話を5本くらいへし折られた(笑)」
「ただし、彼女は恐妻であって悪妻ではない」と話を続けた。
「サッチーの口癖は『なんとかなるわよ』だった。ピンチの時も『何を落ち込んでるの。なんとかなるわよ』と言ってくれた。実際、なんとかなっちゃうんだよ。現役引退後も、これからどうやって食っていこうかと思ってたけど、幸い講演の依頼が途絶えることなく舞い込んできた。
とはいえ私は話し下手だから苦痛でしょうがない。文句を言うとマネージメントをしていたサッチーは『ありがたいと思いなさいよ』とか言って、仕事を減らすどころか一日に何本もの講演を引き受けてしまうんだ。俺はこいつに殺されるかも知れないなと思ったけど、おかげで田園調布に家を持てた。彼女は私の人生におけるラッキーガールだったね」
沙知代さんは世間を騒がせ続けた。1996 年、衆議員選に出馬するも落選。99年、浅香光代さんとの批判合戦「ミッチー・サッチー騒動」が勃発。さらに2001年には約5億6千万円の所得を隠したとして、法人税法違反などの疑いで東京地検に逮捕され、翌年、有罪判決を受けた。
「特捜部の人に旦那が知らないわけないだろうと言われたけど、本当に寝耳に水だった。脱税額を訊いて、よくそんなに貯めたもんだと驚くばかりでね。あの時サッチーは23日間の勾留期限を経て釈放されたんです。さすがに凹んでるだろうと思ったけど、平然としていたね。強(したた)かなのか?、太々しいのかと呆れていたら、不意に『迷惑かけたわね』と。後にも先にも謝罪の言葉を聞いたのはあの時だけ。急に彼女が憐れな女に感じられて切なくなった」
脱税事件により、野村さんは1999年から務めていた阪神タイガースの監督を辞任した。
「二度も女房のせいで監督をクビになったのは、世界広しと言えども私だけだろうね。でも一度も離婚しようと思ったことはない。発想さえなかった。きっと世間の人が知りえないサッチーのいいところを知っていたからでしょう。
いつも強気で迷うことなく前へ前へと進んでいく。その生命力の強さが頼もしかった。監督って仕事は選手の長所も短所も把握してなきゃ務まらないから、そういう目で女房のことも見てたのかもしれないね」