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生きていた民社党、保守運動をオルグする

日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか <1>

藤生 明 朝日新聞編集委員

 民社党、同盟(全日本労働総同盟)、民社研で三位一体をなした民社ブロックの一角で、前出の民社連に加え、戦時中の軍部批判、学内対立で東大教授の職を追われた自由主義者、河合栄治郎(1891—1944)の門下生集団「社会思想研究会」(社思研)のかなりの部分が合流。電力、鉄鋼といった大企業、後の同盟である全労会議系労組が賛助会員として加わった。

 田久保氏は早大法学部在学中から、河合ゼミOBらの社思研に参加している。中心メンバーの経済評論家、土屋清氏が主宰した読書会に通い、記者を志望したという。社思研、民社研、政策研究フォーラムのいずれでも活動した田久保氏は、まごうことなき旧民社系言論人と言える。

 半生記『激流世界を生きて』(2007年)で民社と自民の政治家を比べ、こう記している。「(民社党歴代委員長は)日本の政治家の水準から言えば自民党の有力政治家よりもイデオロギー的にしっかりしたものがあったように思う」

 さらに、有事の際の自衛隊の超法規的行動について発言し辞職に追い込まれた栗栖弘臣・元統合幕僚会議議長の問題を引き、こうも続けた。「だらしのない自民党に活を入れてやると、栗栖元統幕議長を参院選候補に担いで一戦交えた春日一幸・民社党委員長の気迫を自民党の政治家たちはどう受け取っていたか」

保守のなかで絶妙の立ち位置

 田久保氏が日本会議会長に就いたのは2015年4月、三好達・最高裁元長官の後を受けてだ。菅野完氏著『日本会議の研究』を嚆矢に日本会議への疑問が集中した16年には、現職会長として「日本会議への批判報道を糾す」との論考を発表。火の粉を振り払う役回りを演じている。そこにこんな一文があった。

 《私が日本会議の会長になったのは昨年で、それまでは代表委員として事実上、名前をお貸ししていたに過ぎない。日本会議は、一九九七年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合する形で発足した。「国民会議」には私も講師として入っていたが、そこでもたいしたことはしていなかった》

 自分が日本会議を牛耳っているかのように新聞に報じられたことへ反論している場面なのだが、会長になる以前の立ち位置がうかがい知れて興味深い。というのも、総保守化も指摘されるこのご時世だ。日本会議が標榜する「草の根保守運動」の中枢から4代会長が選ばれてよさそうなものだが、保守には保守の複雑な人間模様があり、路線対立やさまざまな系譜もあって、どの人も収まりがつきづらいと判断されたのだろう。

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筆者

藤生 明

藤生 明(ふじう・あきら) 朝日新聞編集委員

1967年生まれ。91年入社。長崎、筑豊、小倉、博多に勤務。2001年、雑誌AERA。12年、新聞に戻り大阪、東京両社会部。17年から右派・保守国民運動を担当する編集委員。著書に『ドキュメント日本会議』『徹底検証神社本庁』(ともにちくま新書)

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです