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「ピエール瀧」作品が「視聴者に悪影響」の愚

作品が持つメッセージは一様ではない。教条的で一面的な価値の押しつけをやめよう

石川智也 朝日新聞記者

ピエール瀧との再会を喜んだ石野卓球の炎上 

石野卓球さんのツイッターより
 相変わらず多数のパパラッチにつきまとわれているという電気グルーヴの石野卓球が4月25日夜、相棒ピエール瀧との注目の再会を果たしたことをツイッターで報告した。「一カ月半ぶりに瀧くんと会ったよ。汗だくになるほど笑った!」とのコメントに満面の笑顔で肩を組む2ショット写真を添えたツイートは、2日間で35万を超える「いいね」がつく一方で、多くの人間が「不謹慎だ」「ふざけている」と嚙み付き、いたるところで炎上している。

 サンスポ記者の森岡真一郎は27日、「神妙な顔で謝罪した姿は一体、何だったのか。今すべきは、20代から陥った薬物中毒から脱却する治療や更生のはずだろう。出演したドラマや映画の撮り直し、CDの回収で事務所や自らへの損害賠償は10億円以上とも予想される。現状を思えば、笑顔はあまりに不自然。今後の公判で裁判所の心証も、決して良くはないだろう。これほど残念な友情写真は見たことがない」と発信。この記事に石野が「自分がいかに考えの浅い人間かを不特定多数に知ってもらう為に作文を記名で発表するというよりすぐりのバカ」などと反応し、また炎上の新たな燃料になっている。

 石野の突飛で挑発的な発言はファンからすれば毎度の彼のスタイルだが、その「無反省」ぶりはこの間、ワイドショーの格好の餌食となり、たとえば情報番組バイキング(フジテレビ系)で司会の坂上忍は連日“卓球批判”を繰り広げた。それは、同僚が不祥事を起こしたり身内に不幸があったりした際には神妙で殊勝な態度をとるのが当然だという日本の「世間」の常識に沿ったものであり、メンバーの一員が逮捕されただけのSMAPやTOKIOの全員が「世間」に謝罪を求められる日本の「集団責任」モラルと共通するものだ。

 「世間」という主体のない不可解な規範が日本独特のものであり、それは責任とも倫理ともまったく無関係でむしろその反対物であることは、先の記事『そして安田純平さんは謝った』などで論じているので、ここでは繰り返すまい。

 あらためて考えたいのは、このところ焦点となっている、関連作品の取り扱いについてである。

江戸時代の五人組や戦時中の隣組のような連帯責任

 麻薬取締法違反で逮捕、起訴されたピエール瀧をめぐっては、周知のとおり、所属事務所がすでにマネジメント契約を解除し、レコード会社ソニー・ミュージックレーベルズは電気グルーヴのCD出荷や配信を取りやめた。NHKは出演中の大河ドラマ『いだてん』の再放送で出演部分をカットし、過去の出演ドラマ『あまちゃん』『龍馬伝』など6作品のオンデマンドサービスを停止した。

 この動きに、坂本龍一が即座に「音楽に罪はない」と反応。弁護士らでつくる「日本エンターテイナーライツ協会」は「過度に反応し、全てを自粛・削除する傾向が強まっている」と懸念を表明し「冷静かつ慎重な対応」を求める声明を出した。

 社会学者の永田夏来らは、およそ1カ月で約6万5千人分の署名を集め、ソニー・ミュージックレーベルズに対して作品の出荷停止やデジタル配信停止の撤回を求める要望書を提出。日本ペンクラブも4月15日、「作品に罪はない。表現者たちは作品の発表の場を奪われ、表現の自由が侵されている。このような風潮を深く憂慮する」との声明を出した。

 何百人ものスタッフや俳優が長期間かけて作り上げたものが、その中の一人の「不祥事」で没になり、過去の作品までもがお蔵入りする――。江戸時代の五人組や戦時中の隣組のような連帯責任の息苦しさと違和感を覚えざるを得ないし、非難をおそれての先回りの自粛は安直な判断と批判されても仕方ない。

 そんななか、東映は出演映画『麻雀放浪記2020』を、いっさいの編集なく予定どおり公開した。「観るか観ないかはお客様に決めていただければいい」との決断には喝采の声の一方で、「利益至上主義」「犯罪会社」などと批判も噴出。ほんとうに「作品に罪はない」のか、賛否の議論が再燃している。

 あらためて公開に反対する人たちの議論を見聞きするにつけ、「十年一日だなあ」との慨嘆を禁じ得ない。

瀧容疑者出演「麻雀放浪記2020」公開について 記者会見する白石監督と東映社長=2019年3月20日、東京・銀座の東映本社

「視聴者に悪影響を与える」という判断

 NHKは出演場面のカットや過去作品の配信中止の理由を、「犯罪行為を是認するような取り扱いをしない」と定めた国内番組基準に基づく判断だと説明。さらに「視聴者に与える影響等々を総合的に判断した」とつけ加えた。

 つまり、ピエール瀧の行為(まだ有罪確定前だが)は、視聴者に影響を与えかねない反社会的行為だと判断したということになる。これは「罪を犯しても出演を許されるのは社会的ペナルティーを受けていないことになり、よくない」という意味よりはむしろ、虚構が現実へ与える影響力について語っている。

 いうまでもなく、画面やスクリーンの奥の物語や人物は、台本を役者が演じ監督が演出したものに過ぎず、その意味では、ひとつの自立した世界である。それは視聴者や観客も当然わきまえている。にもかかわらず「悪影響」を及ぼす、とはどういうことか。

 ピエール瀧の例とは位相が逆になるが、これまで青少年の凶悪犯罪が起きるたびに、「俗悪な」映像作品や漫画がやり玉にあげられてきた。東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件の犯人宮崎勤の部屋が5800本ものビデオテープに埋まっていたことが報じられたとき、「虚構と現実の区別をつかなくさせる」テレビやビデオの悪影響を問題視し犯罪の同時代性を指摘する声があふれた。酒鬼薔薇事件の直後も「犯罪を助長する」サブカルチャー表現の規制を求める声が高まった。

 社会学的には常識だが、「メディアに影響された犯罪」は主張としてほぼ無意味だ。メディアのメッセージ内容から用語や知識を情報として入手することと、そこで表現されている価値感やモラルがそのまま受け手に伝達され行動の動機やトリガーになるかどうかは、まったく別の問題だ。

 たとえばドラマで猟期的な殺人シーンを観た人間が仮に同じような殺人を犯し「影響を受けた」と供述したとして、その「影響」の内容は自明ではない。一方、同じシーンを観て「こんな行動は決して犯すまい」あるいは「自分とは何の関係もない」と胸中で考えた人間はなんらの行動の帰結も生まないので、その意思が他人に伝わることも後に検証されることもあり得ない。当たり前だが、後者の方が圧倒的大多数だ。

 虚構と現実の区別をつけず議論をしているのは、いつも規制論者の側なのだ。「観たくない者の目に触れないようにする」というゾーニングの問題と混同した議論も多い。

保釈されたピエール瀧被告=2019年4月4日、東京都江東区

宮崎駿『風立ちぬ』の喫煙シーン

 大河ドラマ『いだてん』をめぐっては2月、喫煙シーンに受動喫煙撲滅団体が物言いをつけたこともあった。受動喫煙を世間に容認させ未成年者や禁煙治療中の人へ悪影響を与えるとして、NHKに対し、今後絶対に受動喫煙のシーンを出さないことと番組内での謝罪を求めた。

 数年前にも、宮崎駿監督の『風立ちぬ』が喫煙を美化しているとして禁煙団体が「こどもたちに与える影響は無視できない」と抗議した。結核を患う妻の横で喫煙する主人公の行動を「ブラック宮崎」などと非難する声もSNSで飛び交った。

 両団体とも「タバコの場面がなくてもドラマは成立するはず」などと言い添えているのは大きなお世話としか言いようがないが、こうした「表現」への無理解甚だしい、教条的で一面的な価値の押しつけをする人たちがなお多いことに、薄ら寒い気持ちになる。作者と主人公のモラルを同一視する思考にも、呆れざるを得ない。

宮崎駿監督の引退作「風立ちぬ」の主人公・堀越二郎の眼鏡の再現モデル=2013年9月13日、福井県鯖江市

 文筆家の千野帽子が、某国立大の社会学の先生による童謡『赤とんぼ』の解説にのけぞった経験を書いている。その先生は「三木露風の姉は15歳で結婚した」と言ったのだが、根拠はもちろん

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