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小出義雄氏を悼む

「‘天昇院頭領’―オレはこれにかけてみる」、小出氏が女子マラソンを目指した秘話

増島みどり スポーツライター

拡大2000年シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さん(左)と握手する小出義雄さん

 小出義雄氏が(享年80)4月24日、入院先の病院で死去したと聞いた時、小出氏とのインタビュー、有森裕子(バルセロナ五輪銀、アトランタ五輪銅)、鈴木博美(現姓伊東、アテネ世界陸上金)、高橋尚子(シドニー五輪金)ら選手たちを取材した際のメモ、当時の記事を保管するファイルを開けてみた。

女子マラソンに情熱を注ぐ原点だった姓名判断

 資料の多さ、濃密な内容に改めて、女子ランナーたちと小出氏が、「黄金」と呼ばれた時代を全速力で懸命に走り抜いた姿が思い浮かぶ。なぜ、未知だった女子マラソンの指導を始めたのか。その原点について聞いた、知られざる逸話は今も忘れ難い。

 1983年8月、当時44歳、情熱あふれる陸上部の監督としてインターハイ出場を果たし、期間中世話になった合宿先であいさつをした際の話である。全国大会での成績も収め、陸上指導者として軌道に乗り出した頃だ。宿の主人に礼を言おうと名刺を渡すと、主人は「ちょっと待っていなさい」と、名刺を握りしめて奥の部屋に走ったという。

 そしてしばらくすると戻って来て、「天昇院頭領」と墨で書いた文字を示し正座した。

 「いくらなんでも、44歳は戒名を付けてもらうには早過ぎますよ」

 そう笑うと宿の主人は「長く姓名判断をやっている自分でも、これほど完璧な名前を見た経験がない」と驚いた様子で言う。そしてこういう運勢の人物を、「天昇院頭領」と呼ぶのだと、立ち尽くす高校教師に説明した。

 「天をまるで龍のごとく駆けめぐり、ついには行き着くところまで辿り着く。何も恐れることはない。自分の信じた道を信じるままに進みなさい。そうすれば、考えうる最高の結果が得られます。どうかそのことを忘れないでください」

 この姓名判断が、未知だった女子マラソンの強化に情熱を注ぐ原点だった。

 実はこの出会いより少し前、佐倉高校でただ1人の長距離の部員だった女子生徒を、いきなりフルマラソンに出場させ、当時の日本歴代3位、2時間41分33秒をマークさせてしまっていた。周囲が大反対するなか、翌年1984年ロサンゼルス五輪で初めて五輪で実施される女子マラソンに、すでに挑んでいたのである。一度もロードの長距離を走っていなかったにもかかわらず、好記録を出した高校生の存在は、後にオリンピック、世界選手権でメダルを獲得する指導の、まさにスタートだった。

 「だからね、あの時オレは、ヨーシ、それなら駆けっこに賭けてみるか、と本気で思ったんだよ。それまでは、指導は自分には合った仕事だとは思ったけれど、高校生を世界と勝負をさせるわけではなかったからね。だけど、行き着く所まで行ける、それを忘れるな、と言われた時、それならば、オリンピックで金メダルを取ってみようと思った。あの姓名判断から、すべてが始まったんだな。まだ誰も知らない道を開いてみようとね」

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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