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新札発行に意味はあるのか

久田将義 TABLO編集長

拡大新しい日本銀行券と五百円硬貨について記者会見で説明する麻生太郎財務相=2019年4月9日

骨董的価値でのみ生き残る「札」

 紙幣における「札」は切手のような将来をたどるのではないだろうか。SUICAは元よりスーパーの一部でセルフレジを導入し現金で支払うかカードで払うかの選択ができる現在、物品のやり取りが紙幣・小銭を介しなくても可能な世の中になりつつある。

 札の価値というものが、「この時代はこのデザインだった」という骨董的価値でのみ生き残るような気がしている。

 小銭にいたっては財布自体へ非常な負担をかけている。小銭は財布の構造上、恐らくよろしくない。特に長財布を愛用する人からはジャケットの内ポケットに入れるとボタンが締めにくくなる場合があり、よって、小銭入れが必要となってくる。

 しかし、余り物を持ち歩きたくない人にとっては小銭入りの存在が面倒になり、財布に紙幣と小銭を入れる羽目になる。財布自体の「物寿命」が短くなる。ジャケットのシルエットもカッコ良くなくなる。悪循環である。

 ドラマや映画で見られる、「アタッシュケースに札束が入っているというシチュエーション」にもさほど憧憬を抱く人も少なくなっている気がする。したがって、物としての札と小銭の価値はさほど見出せないというのが、個人的持論である。


筆者

久田将義

久田将義(ひさだ・まさよし) TABLO編集長

TABLO編集長。1967年、東京都生まれ。法政大社会学部卒業後、産経メディックスに入社。三才ブックス、ワニマガジン社の後、ミリオン出版に移籍し2001年から「実話ナックルズ」編集長。06年に選択出版に移り、週刊朝日を経てミリオン出版に復帰。12年9月まで編集局次長。犯罪や芸能界に詳しい。著書に『トラブルなう』『原発アウトロー青春白書』『僕たちの時代』(青木理氏との共著)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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