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深まる辺野古新基地の「闇」、沖縄の今を見る

柴山哲也 ジャーナリスト

辺野古の今を確かめる

 昨秋、玉城知事が当選した直後、辺野古の今を自分の目で確かめるほかないと考えて、沖縄へ出かけた。

 私は新聞記者時代に何度か沖縄を取材してきた。最初の沖縄取材は1975年、沖縄が米国統治から本土復帰した直後だった。

 沖縄の県民感情には復帰の希望と同時に本土(ヤマトンチュ)に対する反感が渦巻いていた。昨年の直木賞に選ばれた真藤順丈氏の『宝島』に描かれた混沌、混迷が沖縄を覆っていたと思う。本土が独立してなおアメリカの植民地として据え置かれた恨みの反米感情には、ヤマトンチュに対する歴史的な怨念が積み重なっていた。

 「30年目の戦後」という朝日新聞のシリーズで私は沖縄を担当したが、何をどう書こうか途方に暮れたことを思い出す。

「反復帰論」を唱えていた新川氏

 沖縄タイムスの編集委員の新川明氏に会い、話を聞いた。当時の新川氏は「反復帰論」を唱えていた。米軍統治時代が良かったわけではない。しかしヤマトへの復帰は沖縄人の魂が許さない。その理由は沖縄と本土の歪んだ歴史的関係にある。本土はその歪みを糾(ただ)さないし、糾そうともしない。

 沖縄はもともと琉球王国だった。その平和な王国が江戸時代に薩摩藩によって侵略され琉球人は薩摩の奴隷のように扱われ収奪された。明治維新に琉球処分が行われ王朝は潰されて「沖縄県」になった。さらに太平洋戦争で沖縄は本土の盾に使われ、日本軍は逃亡し、住民を巻き込む地上戦が行われ、4人に1人が戦死した。そのあとアメリカ軍が全島を占領し、普天間に前線司令部を作り、沖縄人の土地を奪い、全島に軍事基地を置いた。

 「沖縄が本土から支配され犠牲になった歴史もそうだが、本土と琉球は違う国。琉球王国の時代から台湾や東南アジア諸国と近く、民族的、地勢文化的風土やものの考え方、宗教観、死生観も違う。アメリカ世が終わるならば、明治維新に琉球処分をしたヤマトの国に戻るのでなく、琉球独立や反復帰論へ行き着かざるをえない」という趣旨のことを新川氏は語った。革新政党も含め、本土政治の目先の政治力学や政治的な計算で沖縄の本土復帰を考えるべきではない、それでは沖縄の未来が見えない。新川氏は当時の沖縄人が本土復帰に抱く幻想を強く戒めていた。本土に再び裏切られるのではないか。

 今、辺野古基地建設の民意を問う選挙で何度もノーの結果が示されながら、本土政府は話し合いもせずに強引に工事を続行している。復帰後の沖縄は再び本土から裏切られている。

 平成天皇は1975年、沖縄初訪問の「ひめゆりの塔」慰霊時の火炎瓶事件を受けて、こんな琉歌を詠んだ。

花よおしやげゆん(花を捧げます)
人知らぬ魂(人知れず亡くなった多くの人の魂に)
戦ないらぬ世よ(戦争のない世を)
肝に願て(心から願って)
ブログ「生きる」918から引用)

 またハンセン病療養所「沖縄愛楽園」訪問時の思い出を、琉歌(りゅうか)に詠み、皇后が作曲した「歌声の響き」がある。この歌は平成天皇在位30周年式典で披露された。沖縄愛楽園は名護市にあり、辺野古基地やキャンプシュワブにも近い場所にある。

 平成天皇は琉球王国時代に編纂された歌謡集『おもろさうし(オモロソウシ)』から琉歌を写し取って作法を学んだというが、琉歌を作るのは極めて難しいとオモロソウシ研究家も語っている。

 「沖縄に寄り添う」と安倍首相はしばしば口にするが、沖縄人の辛い思いに最も寄り添った本土の人は平成天皇だったのではないか。天皇在任中の11回にわたる沖縄各地への戦没者慰霊の旅の積み重ねを見てもそれがわかる。

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筆者

柴山哲也

柴山哲也(しばやま・てつや) ジャーナリスト

同志社大新聞学科大学院を中退後、1970年に朝日新聞記者となり94年に退社。ハワイ大学、シンクタンク東西センター客員研究員等をへて京都女子大教授、立命館大学客員教授。現在はフリーランサー。著書に『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルヴァ書房)、『公共放送BBCの研究』(同、編著)、『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)、『真珠湾の真実』(平凡社新書)等。