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深まる辺野古新基地の「闇」、沖縄の今を見る

柴山哲也 ジャーナリスト

ぶれないジャーナリスト魂を見た

 ところで、その後、新川氏は沖縄タイムス編集局長を経て社長、会長の管理職になった。現在はすでに役職を退任していたが、再び新川氏の話を聞きたいと思い連絡すると、快く応じていただいた。

 約40年ぶりの再会だったが、新川氏の考えは復帰の当時と変わっていなかった。高齢になってはおられたが、ぶれないジャーナリスト魂を見た思いがした。

 新川氏は「若いころは労働組合運動で八重山支局に飛ばされていた」と笑っていたが、その飛ばされていた時期に南西の離島の島々を回って蓄積した沖縄の文化風土に詳しく、独自の「ニライカナイ」の世界観、死生観の哲学的考察も著書に著している。ウチナーンチュュとヤマトゥンチュの交わることのない文化的基層認識の乖離は、本土の人間の理解を超えて深い。

 「沖縄人がみずからを表現するとき『ウチナーンチュ』といい、沖縄人以外の日本人を呼ぶのに『ヤマトゥンチュ』または『ヤマトゥー』と規定する。・・その出身地や社会的身分、職業や性別などにかかわりなく日本本土の人間はおしなべて『ヤマトゥンチュ』であり、その人々が住む国土は『ヤマトゥ』である」。このような沖縄人の基本認識は「沖縄人は日本人であり、まぎれもない日本国民であるということを、いかに学理的に立証し、政治的に主張しても決して消し去ることはできない」。(「幻想としての『大和』」参照)。

 「でも、私は思うのですが、沖縄には本土といろんな関わりの歴史があるが、やはり太平洋戦争の地上戦ね、あれを沖縄の人たちはまだ忘れていないのです」と取材を終えて、別れ際に新川氏はいった。本土の日本人が沖縄は日本と思っていても、沖縄人はそうは思っていないということだ。

 その乖離は沖縄地上戦の惨劇で一層深まり、戦後70余年経っても埋まってはいない。

沖縄が本土から切り離された場所であることを象徴する辺野古新基地建設

 沖縄が本土から切り離された場所であることを象徴するのは沖縄全土に拡大している米軍基地であり、辺野古新基地建設なのだ。

 新川氏に会った翌日、私は辺野古基地を取材に行った。

 亡くなった翁長雄志知事の遺言を引き継いだ玉城新知事が就任したばかりだったが、中断していた工事が早くも再開、という情報が流れていた。新知事へのあてつけのようにも思われた。

 那覇から辺野古までの交通の便は悪く、レンタカーを借りるか、一日に2,3度しか出ていない乗り合いバスに乗り、片道2時間ほどの時間をかけて行くしかない。タクシーだと往復3万円かかるという。

 住民たちが辺野古まで共同運航するバスが県庁前から出ているという話を聞いて、住民の方に頼み込みバスに乗せてもらうことができた。

 島の西側にある辺野古の海は東海岸の海のような輝きを放ってはなかった。かつての美しく澄んだ海の面影はもうなく、埋め立て工事の影響で大量の泥が混じり、くすんだ色の海があった。天然記念物のジュゴンの姿はもう見られないということだった。

 バスがキャンプシュワブの米軍基地ゲート前に到着すると米軍側と基地を守る日本の警察の警戒が強まっていて、工事再開に抗議する地元住民の間では緊張感が漂っていた。

 工事車両が来るということで、テントの中にいた住民たちはゲート前に移動して集会とデモを始めた。このテント内の座り込み風景は本土のテレビでも度々報道されてきたから映像では見ていたが、 ・・・ログインして読む
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筆者

柴山哲也

柴山哲也(しばやま・てつや) ジャーナリスト

同志社大新聞学科大学院を中退後、1970年に朝日新聞記者となり94年に退社。ハワイ大学、シンクタンク東西センター客員研究員等をへて京都女子大教授、立命館大学客員教授。現在はフリーランサー。著書に『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルヴァ書房)、『公共放送BBCの研究』(同、編著)、『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)、『真珠湾の真実』(平凡社新書)等。