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渋谷駅周辺再開発と3度目の五輪を前に蘇る渋谷川

武田徹 評論家

「日本最大の工事現場」渋谷=撮影・筆者拡大「日本最大の工事現場」渋谷=撮影・筆者

 前回、渋谷を「日本最大の工事現場」と表現したが、その用法には先例がある。

 東西ドイツの統合が実現した後のベルリンでは、かつて壁があった場所が帯状の空白地帯となっていた。冷戦中は一触即発の危険地帯として監視と警備が終日繰り広げられていた場所は、冷戦が終結してしまうと市内中央に出現した、自由に開発が可能な白紙のキャンパスとなり、多くのグローバル企業がそこに進出しようとしのぎを削り始める。

 筆者が訪ねた時、まさにその建設の真っ只中で、重機が唸りをあげる中、あちこちに張り出されたサインボードに「ヨーロッパ最大の工事現場 Die größte Baustelle Europas」のコピーが誇らしげに描かれていた。

 最近の渋谷も、赴く間隔が少し開くと、以前はあったはずの建物がすっかり消えてなくなり、周辺を含めたあたり一角が工事のためのフェンスに囲まれている。しばらく経って再訪すると、隆々とした鉄筋を組み上げた建設中のビルを見上げることになり、やがて新しい高層ビルの全貌が明らかになってゆく。駅を降りて工事現場を迂回して造られた仮設の歩行者通路を歩きながら往時のベルリンを思い出していたのは、その建設スケールの大きさが共通するだけでなく、渋谷もまた「冷戦」終了後に生まれ変わろうとしているからだ。

 1964年五輪後の渋谷を変貌させた立役者は二つの商業資本だった。「伊豆戦争」「箱根山戦争」として語り継がれる熾烈な開発競争を繰り広げた五島慶太率いる東急と堤康次郎の西武の争いは戦後、後継者たちによって渋谷を舞台に再燃した。67年に東急百貨店本店が開業すると翌年に西武百貨店が渋谷店を開業させる。73年にはパルコパート1をオープンさせ、パルコパート2(75年)、パート3(81年)と公園通りを中心に新規出店を重ねた西武セゾングループに対して、東急は109(79年)、ONE-OH-NINE(86年)、ONE-OH-NINE 30's(88年)を造って駅前の東横百貨店と本店までの間を繋いだ。

 こうして東急と西武が開発を競い合うことで渋谷は流行発信基地としての魅力を高め、特に若い世代を集客して「若者の街」と呼ばれるようになる。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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