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渋谷駅周辺再開発と3度目の五輪を前に蘇る渋谷川

武田徹 評論家

畠山直哉『アンダーグラウンド』に写された渋谷の闇

 次々に新しい風俗を生み出す渋谷の街では多くの写真が撮られ、メディアを席巻した。そんな中で筆者にとって最も印象に残ったものが畠山直哉の写真集『アンダーグラウンド』(メディアファクトリー、2000年)に収められた作品だった。それは前稿で取り上げた渋谷川の写真だった。

畠山直哉の写真集『アンダーグラウンド』拡大畠山直哉『アンダーグラウンド』

 畠山は地上に川が姿を現す稲荷橋の側から川の中を歩いてみる。外から差し込む光が届く範囲では眼が利き、川底に張り付いたゴミやトンネルの中を飛ぶコウモリが見えていた。だが、やがて一切の光が届かなくなる。写真集に添えられた文章から引いてみよう。

 真っ暗な空洞にぼんやりと立ち、辺りを見回してみるが、視野のすべて、光の刺激は完全にゼロで、眼を開けているのにつぶっているような。
 それでも僕の眼球は空しい運動を止めず、何かを見ようとしている。足元の水も僕の両手両足も、こうもすべてが真っ黒で見えないと、それが在るのかどうかさえも分からなくなる。いまかろうじて「在る」と感じることができるものは、こうしてものを想う僕自身の「意識」のみということになるのだろう。

 そこで畠山はストロボを灯して川の内部を写した。淀んで汚れた水、流れてきたゴミ、ネズミの死骸……。一瞬の光がそれらを照らし出し、また闇の中に深く沈んでゆく。

 畠山はその写真集に「Cimmerian Darkness and Stygian Gloom」という副題を付けた。Cimmerianはギリシャ神話に出てくる夜が永遠に続く国、Stygianは現世と冥府を分ける三途の川だ。いずれも形容詞となって闇のとてつもない深さを強調している。

 東京のまん中を流れる、このコンクリートで固められた川に降り立つと、そこに人間の気配は何もない。地上からわずか5メートル降りただけだというのに、僕は何光年も離れた別の場所にいるような気がする。

 畠山が写真を撮影したのは90年代、「若者の街」という形容が定着し、渋谷が最も喧騒に溢れていた時期だ。

 都市風俗をよく取材していた時期だったゆえに筆者もしばしば訪ねた。駅を出て、1日に少なくとも20万人が横断するという(田村圭介『迷い迷って渋谷駅――日本一の「迷宮ターミナル」の謎を解く』光文社)駅前のスクランブル交差点を渡る段階で既に人に酔うような気分になっていた。書くネタに困ったときは、センター街が見下ろせるマクドナルドの角の席に座ってぼんやりと人波を観察していた。

 しかし、最新の流行が覇を競う、そんな「地上」から5メートル下に潜れば底知れぬ深さの闇がある。闇の深さを示すことで畠山は光の眩さを際立たせた。当時の渋谷らしさを最も鮮烈に感じさせてくれた写真は、筆者が知る限り、渋谷の街を写さない畠山の作品だった。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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