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東大新人会 民社党へ着地するインテリの一系譜

日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか <4>

藤生 明 朝日新聞編集委員

 出席者には、民社党結成メンバーの一人、棚橋小虎(ことら)元党参院議員会長もいた。参加者中、最年長会員。森戸氏に続き新人会OBのトップバッターとして、こう切り出した。「私が大学を卒業したのは1917年。新人会誕生の2年前です。そこで、新人会の生まれる前のことを話したい」

吉野作造・東大教授の強い影響

 棚橋氏は1889年1月、長野県松本市生まれの社会運動家・政治家・弁護士。1907年、キリスト教受洗。代用教員をへて旧制三高(京都)、東大法科に進学。新人会の創立時にはすでに大学を卒業していたOB会員7人のうちの1人だった。

拡大無産諸政党のリーダー、麻生久氏。後年、軍部との提携を訴え、陣営に波紋をよんだ=1932年ごろ
 その7人には、興味深い名前が並んでいる。三高仲間として、麻生久(日本労農党創設、麻生良方・元民社党衆院議員の父)、岸井寿郎(戦前の衆院議員、岸井成格・元毎日新聞主筆の父)、山名義鶴(貴族院議員、民社党結成に奔走)の各氏。そのほか、稿を改めて詳述するが、七高(鹿児島)出身の佐野学(日本共産党元委員長、獄中転向)、慶大卒の野坂参三(戦後の共産党議長、後に党除名)の両氏もいた。

 いずれも吉野作造東大教授に影響を受けた人々で、とりわけ、棚橋氏は鈴木文治の友愛会に強い関心を抱き、労働運動に加わることを熱望した。棚橋氏は冒頭の集会でその動機を語っている。

拡大参院本会議で質問する右派社会党の棚橋小虎参院議員。民社党結成に参加した=1954年3月26日
 「役人や日銀、満鉄、八幡製鉄所が卒業生の理想でした。私はそちらへ行かず、ひとつ労働組合運動をやって、労働階級に我々の考えをしっかり植えつけ、それで日本の改革をしなければならいと考えていました」

 ところが、その頃の友愛会には資金的な余裕はなく、鈴木文治会長からは「しばらく待ってくれ」。やむなく司法官試補(司法修習生)をした後、1917年に友愛会本部入り。造船所のあった「労働者の街」月島で、友愛会員・新人会員として、労働者生活調査にかかわったり、鉱山での労働争議を指導したりした。

急進主義に抗し「労働組合へ帰れ」訴え

 やがて、新聞記者を辞めた盟友の麻生久も友愛会本部で活動を始め、二人の加入もあって、同会が近代的労働組合への脱皮が図られた功績は大きい。ただ、後に民社党初代委員長になる西尾末広氏が友愛会加入前、「友愛会は労働者でもない者を会長にして指図されている」と批判したように、当時は「知識階級排撃」が叫ばれ始めた時期でもあり、労働運動内部に分断・亀裂を生む火種を持ちこむかっこうにもなった。

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筆者

藤生 明

藤生 明(ふじう・あきら) 朝日新聞編集委員

1967年生まれ。91年入社。長崎、筑豊、小倉、博多に勤務。2001年、雑誌AERA。12年、新聞に戻り大阪、東京両社会部。17年から右派・保守国民運動を担当する編集委員。著書に『ドキュメント日本会議』『徹底検証神社本庁』(ともにちくま新書)

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです