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生活を豊かにするための造形美―日本新工芸展

薄雲鈴代 ライター

 風薫る皐月に、東京六本木にある国立新美術館で日本新工芸展が催された。東京のあと、東海展(名古屋・松坂屋美術館)、近畿展(京都市美術館別館)と、全国を巡回していくのだが、折々この新工芸展に足を運んで抱く感慨がある。

 素直に美しいなぁと感嘆し、素人の単純さから、どうやって作っているのだろうとその技術力に驚愕する。美術館で心が洗われる最初の感覚は、美術であろうと工芸であろうと同じだが、ガラス越しに眺める美術品とは違い、新工芸展では‘この作品が自分の暮らしの中にあったらどんなに素敵だろう’という気持ちになる。

「美と生活の調和」を第一義とする工芸美術を目指す

 それもそのはず、この日本新工芸とは「表現のための表現を避けて‘美と生活の調和’を第一義とする工芸美術」を目指して、1978年6月18日に工芸作家たちが興したムーブメントである。陶芸家の楠部彌弌、六世清水六兵衛、染織家の山鹿清華、彫金家の帖佐美行を中心に、242名の工芸作家が集い心を一にした。

 折しも、まるで絵画のような染織、彫刻のような陶芸というように、工芸本来のあり様を意識するよりも、また素材や技法を重視するよりも、表現の自由さを優先する方向に重心を移していき、ある意味で美術寄りに傾倒した混沌とした時代でもあった。

 ‘工芸とはなにか’‘美術とはなにか’‘何のための制作なのか’という根本的な問いに対する個々人の工芸観、芸術観の答えの多様性の中で、コンテンポラリーの作家たちが表現のための表現に走る中、人の生活に根ざした潤いのある美術作品、あくまで工芸美を追求し、現代に生きんとする制作をうたう作家集団の心意気、それが日本新工芸家連盟であった。

 その創立から数えて令和元年の今年、41回目の展覧会となる。

自然の植物から色をいただく藍染

拡大藍型染「遊龍の如し」内藤英治・作(第41回日本新工芸展に巡回展覧中)
 日本新工芸展で、いつも立ち止まって暫し見入ってしまう作品がある。今回の会場では『遊龍の如し』と題された、京都西山の善峯寺にある五葉松をモチーフにした藍型染である。それは、まるで龍が天に向かって立ち上がるがごとく地面から枝を伸ばす樹齢600年からなる遊龍の松が、少し縦長の画面の中に雄々しくも清々しく生命力を湛えていた。作者は染織家の内藤英治さん。新工芸の創立時から若手染織作家として携わって以来、営々と制作し続けている。

 「新工芸の創立時、正直なところ、著名で実力のある先生方が中心になって設立されたので、それに付いて行っただけでしたけれど、逆に、私たちの果たす役割は何だろう、新工芸とは何だろう、‘新’とは何を目指すべきなのか、そもそも工芸とはなにか、若手が集まっては、よく話し合っていました。結論的に、新工芸とは真の工芸を目指す‘真工芸’運動だと、仲間と議論をたたかわせたものです」と内藤英治さん。

 京都西陣の辺りで生まれ、京都市立芸術大学で染織を学ぶ。

 「私が学生の頃は、学長は近藤悠三先生で、校内を見渡せば日本画の上村松篁先生、秋野不矩先生、陶芸に八木一夫先生、染織では佐野猛夫先生をはじめ錚々たる先生方が教授陣として、学生にとっても身近な存在としておられました」

 美術の教科書に出てくる作家陣がこぞって教鞭を執っているキャンパスにあって、「私たち学生もその先生たちと同じ展覧会場に作品を並べて頂きたいとの思いで、公募展に挑戦したものです」

 時代は学生紛争の真っただ中。東山七条にあった大学にはバリケードが張られ、洋画やデザイン科の教室が封鎖されている校舎で、染織の学生たちは粛々と染色、機織りをしていたという。

 染織といっても時流はファイバーアート全盛であった。新しいことをしなければ芸術ではないという気風の中で、 ・・・ログインして読む
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筆者

薄雲鈴代

薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター

京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。

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