大学は国のいいなりでは社会に貢献できない
2019年06月07日
いま、国は大学をデザインしている。
大学を好き勝手に操っている、といってもいい。
国にとっていちばん都合の良い大学とは何かを考えながら、高等教育政策を打ち出しているとしか思えないからだ。悲しいかな、大学はそれに粛々と従っている。無視したり、反旗を翻したりするとお金とかお墨付きとかがもらえない。ヘタしたら大学運営の根幹に関わってしまうからだ。
今年5月、「大学等における修学の支援に関する法律」が成立した。所得が低い世帯の学生への入学金・授業料が減免されることになり、「高等教育無償化」政策と喧伝されている。たが、「無償化」の恩恵を受けるためには、国が指定する大学に通わなければならない。どういうことか。
「無償化」大学にはこんな要件がつけられている。「実務経験のある教員による授業科目が標準単位数(4年制大学の場合、124単位)の1割以上、配置されていること」「法人の「理事」に産業界等の外部人材を複数任命していること」――。
ここで示された「実務経験のある教員」とは大学業界で実務家教員と呼ばれ、企業の財務管理、資産運用、海外事業展開の担当者、官庁や自治体での政策遂行責任者、あるいは、弁護士、公認会計士、税理士などを指している。いま、大学には社会で役に立つ人材を育成するためには専門知をきわめさせるより、職業訓練を優先させたほうがいいという考え方が浸透しつつある。就職実績の向上が、志願者の増加につながると信じられており、そのためには。実務家に手とり足とり指導してもらいましょうというわけだ。
文科省はこうした大学の弱みをわかった上で、実務家教員を推奨する。そこで割を喰うのが「世間知らずの学者」だ。彼らは「社会の役に立たない学問を教えている」と言われ、隅に追いやられてしまう。定年でリタイアしたあと、空いたポストには実務家教員がおさまっているというケースがよく見られるようになった。一方で、「即戦力を育ててほしい」という企業からのプレッシャーにも押されて、実務家さがしに奔走する大学も増えた。大学教員のあいだから、当然、学問の危機を憂う声が出ている。
こうした実務家教員、そして、学外理事がいない大学に通っても、学費はタダにならないわけだ。なぜ、国はこんな枠組みをつくったのだろうか。文部科学省はこう説明している。「大学等での勉学が職業に結びつくことにより格差の固定化を防ぎ、支援を受けた子どもたちが大学等でしっかりと学んだ上で、社会で自立し、活躍できるようになるという、今回の支援措置の目的を踏まえ、対象を学問追究と実践的教育のバランスが取れている大学等とするため、大学等に一定の要件を求める」(文科省「高等教育の無償化に係る参考資料」2018年11月21日)。
つまり、国は大学に対して「学問追究と実践的教育のバランスが取れている」ことを求めている。「学問探究」など言われなくてもわかっているので、「職業に結びつく」「実践的教育」に力を入れなさい、と言いたいわけだ。
大学にすれば、学生募集のためには、「無償化」を適用される要件を整えなければならない。どの大学も教育内容、カリキュラムに「職業に結びつく」実務系科目(たとえば簿記、会計とか)を採り入れ、実務家(企業の経理担当者)を呼んで教壇に立たせることになるだろう。いま、文系、教育系、芸術系、体育系、芸術系がメインの大学は、「実践的教育」が得意ではないが、国の方針に従って教育内容を変えるしかない。「無償化」の対象とならないところは受験生から選ばれないからだ。
どれもこれもおかしい。憲法と教育基本法を引っ張り出せば、合理性を欠いた相当ムチャな政策
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