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「初めてデモに行ってきた」から8年

悲惨な状況に真面目に向き合う

中島京子 作家

拡大東日本大震災後、原発に反対するデモが各地で毎週のように開かれ、労組や団体の動員ではない個人や家族連れの参加が目立つようになった=2011年4月10日、東京・高円寺

2011年の時点では、もう少し楽観的な希望があった

 2011年の6月、朝日新聞に「初めてデモに行ってきた」というエッセイを寄稿した。3月に東日本大震災があり、福島第一原子力発電所の事故があって、それから約2カ月後の5月7日に、渋谷で行われた反原発デモに参加した経験を書いた。

 読み直してみると、8年前の私は若干、腰が引けていて、「自分は社会派作家じゃないし、震災を機に作風が一変したりもしないだろう」などと書いている。「デモ」は「社会派」の人が行くものだという先入観があり、それに参加するのにちょっと気後れがあったらしい。でも、あれから何度もデモにも集会にも行ったし、機会があれば新聞や雑誌で自分の意見を述べるようにもしていて、それでもちっとも世の中はよくならないという危機感にまみれている昨今、自分が「社会派」かどうかなんて、もはやどうでもいいことである。それより、ほんとうに、この先、この国がどうなってしまうのかが、心配だ。

拡大2011年6月7日付、朝日新聞夕刊(東京本社版)への中島さんの寄稿
 東日本大震災は、あきらかに私自身を変えた。ことに、原発事故の衝撃は、深い反省を呼び起こした。事故そのものもショックだったが、自分がいかに長い事、政府や官僚や電力会社の嘘、ごまかし、騙しに気づかずにいたかを思って情けなかった。日本の原発は安全でクリーンで対策も万全という嘘に、騙されたというよりも、騙されたかったというのに近いかもしれない。震災をきっかけに、世の中を見る目が変った。

 それでも、2011年の時点では、もう少し楽観的な希望があった。

 自分のようなぼんやりした人間も、おかしいと思って声を上げたし、そういう普通の人はもっと増えていくのだから、世の中はいい方向に変わるのではないかと思っていたのだ。「(デモ参加者の)人数が増えればマスコミも政府も無視できなくなるはず」と、エッセイにも書いている。テレビの報道番組に自分の参加したデモの映像が映ると「行ってよかった!」という気持ちになった。

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筆者

中島京子

中島京子(なかじま・きょうこ) 作家

1964年、東京都出身。出版社勤務を経て『FUTON』でデビュー。2010年、『小さいおうち』で直木賞受賞。。2014年、『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞。2015年、『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞・第4回歴史時代作家クラブ作品賞・第28回柴田錬三郎賞の各賞受賞、『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞・第5回日本医療小説大賞をそれぞれ受賞。2019年5月に最新刊『夢見る帝国図書館』(文藝春秋)が刊行されている。