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サッカー日本代表が挑む世界最古の大陸王者決定戦

20年ぶりの出場で進化と真価が問われる真剣勝負

増島みどり スポーツライター

チリ戦の後半、シュートを放つ久保=内田光撮影

ディフェンディングチャンピオン・チリとの初戦は0-4で完敗

 6月18日(日本時間)、サッカー日本代表(国際ランキング28位)が20年ぶりに挑むコパ・アメリカ(南米選手権)で、大会2連覇中のチリ(同16位)との初戦がサンパウロ・モルンビスタジアムで行われた。注目の久保建英が18歳の日本代表公式戦最年少記録を更新するなど、チリ戦の先発6人がAマッチ初出場の若い代表は、前半、落ち着いて試合に入り随所に持ち味も見せた。しかし前半41分、CKから高いヘディングに圧倒されて1点を失うと、後半、立ち上がりに追加点を奪われ、37、38分にも連続で失点。久保建英、中島翔哉がスピードに乗ったドリブル、パスで持ち味を発揮するシーンはあったが、得点に絡むことはできなかった。

 試合後、森保監督は「チリと日本の間にはクオリティの差があったことは認めなければならないが(日本が)ゼロ(点)で終る試合ではない」と話し、一方で「前回、前々回の王者に対して臆することなく挑んでくれた」と、大きな試合を終えた選手を評価した。

 2002年の日韓W杯を目指す日本代表は1999年、コパで初めて海外勢としての招待を受けて出場を叶えた。当時、98年のフランスW杯での3敗で世界との距離を突きつけられた代表は、トルシエ監督指揮下で、1916年から行われている世界最古の大陸選手権に挑み、勝ち点1に終わっている。グループリーグは初戦にペルー(2-3)、2戦目は開催国パラグアイに0-4と完敗。グループ最終試合、ボリビア戦は相手に退場者が出て10人になったがそれでも崩せず1-1のドローに持ち込むのが精一杯だった。

 当時のメンバーで、20年ぶりに出場する今大会の日本代表のコパ経験者は斉藤俊秀コーチ(46、当時清水所属DF)と、下田崇GKコーチ(43、当時広島所属GK)の2人で、出場している斉藤コーチは大会の特別な厳しさをこう話している。

 「グループリーグで対戦した3カ国は、キリンカップなど親善試合で対戦した国でしたが、南米で対戦した際の彼らは全く別のチームでした。試合運びはもちろん、ピッチ、スタジアムの雰囲気、天候、全てが彼らのサッカーの持ち味に変わっていて、そのレベルの高さに圧倒されたのを覚えています。アジアとも、W杯とも違う壁を感じました」

 日本代表が悲願のW杯出場を叶えた翌年、本来は出場できない大陸王者決定戦に出場できた価値は、その後の日本の進化の大きなバネにもなった。

 南米サッカー連盟に加盟する10カ国に加え、日本の招待初出場以降93年からは招待2カ国を加え12カ国での開催が定着している、過去8回の優勝を誇るブラジルは、開催国となった過去4大会を全て制し、今大会も最有力候補とされる。アルゼンチン、ウルグアイと、W杯の優勝国が10カ国のうち3カ国も揃うだけに、世界最古であり、最高峰の戦いとして注目を浴び、欧州ビッグクラブへの移籍の大市場とも言われる。今年も、すでにシーズンを終えた欧州から多くのスカウト陣が移籍目的に乗り込む。

独特の匂い、風土が、強いサッカーとストライカーたちの背景

 20年前、日本はW杯に初出場し、次の2002年W杯をアジアとして初めて開催(韓国と共催)する、そうした激変期にいた。当時現地取材で見た風景にはどれも強烈なインパクトがあった。

 パラグアイの芝は当時もJリーグよりはるかに状態が悪かった。スタジアムの観客席は傾き、スタンドのコンクリートはひび割れ、階段は途切れ、それでもファンが詰めかける。熱狂とは異なる、刺すような緊張感にスタジアムが包まれる。

 日本戦以外を観戦した際、ある国のエースストライカーが試合中PK2本を外した。スタジアムが騒然とするなか、またもPKが与えられる。口笛と凄まじいヤジを浴びせられながら、何と、

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