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『さとうきび畑』~風の記憶をたどって~

この楽曲を作った寺島尚彦さんの次女が6月23日に思いを寄せる

寺島夕紗子 ソプラノ歌手

摩文仁のサトウキビ畑

 1964年6月、沖縄音楽協会主催・石井好子リサイタルのために、父は初めて沖縄を訪れた。当時の沖縄はまだアメリカの統治下にあり、「入国」にはパスポートが必要な時代だった。旅好きの父にとって、沖縄で目にする南国そのものの風景は心弾むものだったことだろう。

 コンサートを終えた翌日、梅雨明け直後の南国晴れの空の下、父は案内を申し出てくれた地元の人に喜んで同行した。しかし、ひめゆりの塔や戦跡を巡っているうちに父の胸は次第に重苦しくふさがれ、やがて摩文仁の丘一帯に広がる、見渡すかぎりのサトウキビ畑に着いたときには言葉少なになっていた。その当時の記憶を父は書き残している。

寺島さん1拡大寺島尚彦さんが1964年6月、初めて訪れた沖縄での記念写真=寺島夕紗子さん提供
 「車から降りて土の道をどのくらい歩いただろうか、気がつくと私の背丈よりずっと高く伸びたサトウキビ畑の中に埋もれているのだ。熱い南国の陽ざしとぬけるように青い空。その時だった。『あなたの歩いている土の下に、まだたくさんの戦没者が埋まったままになっています』天の声のように言葉が私に降りかかり、一瞬にして美しく広がっていた青空、太陽、緑の波うつサトウキビすべてがモノクロームと化し、私は立ちすくんだ。轟然と吹き抜ける風の音だけが耳を圧倒し、その中に戦没者たちの怒号と嗚咽を私は確かに聴いた。それから摩文仁の丘の頂上に立つまで、どこをどう歩いたのか、私の記憶は途絶えたままである」
(「さとうきび畑 ざわわ、通りぬける風」小学館より引用)

 父が34歳の時だった。その日から73歳の生涯を終えるまで、父の心の中には一生忘れられない記憶となってその風の音がすみつき、やがて『さとうきび畑』の誕生へとつながる。今にして思えば、父が痛みともいえるほどの思いでこの歌を書き上げたのは、沖縄の海のかなた、ニライカナイに眠る多くの魂に揺り動かされたからに違いない。人には誰も、見えざるものの力で導かれる瞬間があり、父にとってはまさにこの瞬間こそがその時だったのだろう。

〈ざわわ〉の誕生

 そうは言っても『さとうきび畑』はそれからすぐに完成したわけではない。父にとって衝撃ともいえる沖縄の旅から戻って、作曲家として自分のこの思いをなんとか作品にして残したい、本土に伝えたいとの思いに駆られて一気に詩を書き上げたものの、唯一あの時の風の音を表す言葉が見つからない。

 〈ざわざわ〉ではうるさすぎ、〈さわさわ〉では優しすぎる……。

 そこから1年半の歳月を経たある日、〈ざわわ〉というフレーズをようやく父は生み出した。なおかつ自分が感じた思いを表すために何度もこの風の音を繰り返す手法をとり、11節からなる詩の中に66回〈ざわわ〉を繰り返し、一度も転調をすることなく、変わらぬ悲しみの中に平和への祈りを込めた。

 こうして出来上がった歌は10分を超えたため、テレビやラジオで取り上げられる機会も少ないだろう、と発表当初は父自ら「流行ることを拒否した歌」と表現したが、それでもこの長さを変えようとはしなかった。

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筆者

寺島夕紗子

寺島夕紗子(てらしまゆさこ) ソプラノ歌手

雙葉高等学校卒業。東京藝術大学及び同大学院修了。文化庁在外研修員としてスペインで研鑽を積む。国内外での演奏活動のほか、NHKはじめ全国のテレビ、ラジオ番組にも多数出演。父・寺島尚彦作「さとうきび畑」「緑陰」等3枚のCDをリリース。また書籍、新聞、雑誌への執筆活動も展開。洗足学園音楽大学講師。