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映画『新聞記者』に込めた思い

「映画」こそ真の自由であることを願って

河村光庸 映画プロデューサー

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

映画『新聞記者』 東京新聞の望月衣塑子記者の著書「新聞記者」を原案にした映画。6/28(金)より全国公開。政府によるメディアへの介入など現実世界と共振する設定の「権力とメディア」の裏側、「組織と個人」のせめぎ合いを真正面から描いたサスペンスエンタテインメント。映画予告編はこちら

メディアの「権力監視」が薄まる中で

 2019年、新しい元号「令和」が始まり、参議院選挙、翌年に控える東京オリンピックの開催。かつて経験したことのないような時代の大きなうねりの中で、人々はどこからどのような情報を得ていかなければならないのでしょうか。

 第二次安倍政権の発足以降、下がり続ける「世界の報道の自由度ランキング」(国境なき記者団)で日本は2016年、2017年には連続67位と、ついにG7各国の中で最下位となったことはすでにご承知かと思います。

 フェイクニュース、メディアの自主規制は蔓延し、官邸権力は平然と「報道の自由」を侵す……。

 この数年で起きている民主主義を踏みにじるような官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす一部を除くテレビの報道メディア。最後の砦である新聞メディアでさえ、現政権の分断政策が功を奏し「権力の監視役」たる役目が薄まってきているという驚くべき異常事態が起きているのです。

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

 それと共に、そしていつの間にか暗雲のように社会全体に立ち込める「同調圧力」は、人々を委縮させ「個」と「個」を分断し孤立化を煽っています。

 そのような状況下、正に「個」が集団に立ち向かうが如く、官邸に不都合な質問を発し続ける東京新聞の望月衣塑子さんの著書『新聞記者』が私に映画の着想を与えてくれました。そしてこの数年日本で起きた現在進行形の政治事件をモデルにしたドラマがリアルに生々しく劇中で展開していくという映画史上初の試みとなる大胆不敵な政治サスペンス映画に着手しました。

 そして、出来上がったのが映画「新聞記者」です。

 本作は、報道メディアは政治権力にどう対峙するのかを問いかける作品です。

 権力がひた隠す政権の闇に迫ろうとする一人の女性記者と、理想に燃え公務員の道を選んだある若手エリート官僚との対峙・葛藤を描いた政治サスペンス映画です。

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

我々の前に立ちはだかる「官邸記者クラブ」

 過去、政治権力とジャーナリズムを扱った洋画は多くの名作を生んでいますが、日本映画にはほとんどありません。しかもフィクションではありますが、この映画の最大の特徴である、ここ2、3年で起きた政治的大事件をモデルにしているところです。

 これらの政治事件は本来であれば一つ一つが政権を覆すほどの大事件です。ところがあろうことか、年号が令和に変わろうが継続中であるべき大事件が一国のリーダーと6人の側近の“令”の元に官僚達はそれにひれ伏し、これら大事件を“うそ”と“だまし”で終りにしてしまったのは多くの国民は決して忘れはしないでしょう。

 一方で日本の報道メディアについても多くの問題があります。記者クラブの中でなぜ望月記者に続く人間が現れないのか? それで権力の番犬の役割が果たせるのか?

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

 既存メディア、特に「記者クラブ」の政治部の記者たちは望月記者を「目立ちたいだけ」と非難していますが、その前にジャーナリズムの本質的な姿勢に立ち返るべきは「官邸記者クラブ」です。

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