無症状の甲状腺がんを掘り起こす「検査の害」
2019年06月29日
本稿では福島で現在行われている甲状腺検査について考える。最初に結論を書いてしまうと、筆者はここで、甲状腺検査が医学研究倫理に反しており、受診者の人権を侵害しているので即刻中止するべきと提言する。
甲状腺に対する放射線影響の有無を知りたいという希望が医学の世界やあるいは広く一般にあるのはわかる。しかし、甲状腺がんのように進行の遅いがんを無症状のうちにスクリーニングで発見してしまうことには利益がなく害だけがあるので、その希望は捨てなくてはならない。科学よりも受診者個人の利益が優先するというのが倫理だからである。
放射線影響は九分九厘ないと考えられるが、もちろん絶対にゼロだとは言い切れない。だからといって、そのわずかな被曝影響の有無を調べるために、害があるとわかっている検査を続けるのは許されない。また合わせて、これまでに見つかった甲状腺がんのほぼ全ては「検査の被害」なので、因果関係を立証することなく行政が生涯にわたる補償を約束すべきと考える。本稿の論旨はこれで尽きている。
福島県で東京電力福島第一原発事故当時18歳以下だった子どもたち(既にいちばん上は20代後半にさしかかっているが)を対象に続けられている甲状腺検査、38万人もの対象者の甲状腺を継続的に高精度エコーで調べるという前例のない大調査は現在四巡目が行われている。その二巡目の検査を解析した結果がまとまり、甲状腺がんの発見率と甲状腺被曝量との間に明らかな関連はみられなかったという専門家による報告案(注1)が、6月3日に開催された県民健康調査検討委員会甲状腺検査評価部会に提出された。被曝影響だとすればがんが被曝線量とともに増えるはずなので、発見された甲状腺がんは少なくともそのほとんどすべてが放射線被曝と関係ないと判断されたわけである。一巡目の検査については既に同じ結論が報告されている。
さて、いったいこれは手放しで喜んでいいニュースだろうか。
もちろん被曝による健康影響が見られないのはいい話に違いない。放出された放射性物質量が東電原発事故よりもほぼひと桁多かったチェルノブイリ原発事故でさえ、被曝そのものによる健康被害と認められているのは子どもたちの甲状腺がんの増加だけだから、甲状腺がんが被曝影響でないのならほかの健康影響はないと考えて差し支えない(もちろん被曝を直接原因としない健康被害として、避難に伴う死亡や避難生活での生活習慣病あるいは精神面での影響などはあり、東電原発事故でも問題になっている)。
とはいえ、実のところこれは初めから予想されていた通りの結果に過ぎない。問題はそのために、これまでに200人以上が「悪性ないし悪性疑い」と判定され、160人以上が手術を受けたという事実である。小児甲状腺がんの発生率は100万人あたり年間数人と言われていたはずなのに、どうしてこんなにたくさん発見されてしまったのだろう。
これは、以下に述べるように、症状のない子どもたちの甲状腺を高精度の超音波で調べた結果、発見しなくてもよかったはずのがんを次々と発見してしまったと考えるのが妥当である。その中には、検査で見つけていなければ死ぬまで悪さをしなかったはずのがんも相当数含まれていたと考えられる。いったいそのような検査を続けていいものだろうか。
先に進む前にあらかじめ言っておこう。筆者は医学者ではなく物理学者で、しかも放射線の専門家でもない。それでも、東電原発事故後にたくさんの「科学的根拠もなくただ人々の不安を煽るだけ」の書籍や新聞記事・ネット記事があふれたことに危機感を覚え、原発事故から三年後に仲間たちと『いちから聞きたい放射線のほんとう』という本を出版した。放射線については健康影響も含めて相当に知見が蓄積されており、一般向けのひと通りの解説ならむしろ専門家でないほうが分かりやすく書けると考えたからである。
この中で私たちは、放射線被曝に起因する健康影響の大きさは被曝量による、つまり「あるかないかではなく、程度問題」という点を強調した。実際、福島で避難指示が出されていない地域での放射線量は
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