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ADHDの元教員で自閉っ子の母親が気付いたこと

インクルーシブ社会への道のりの第一歩は互いを知ることから

雨野千晴 ライター、講師、漫画家

イラスト1拡大イラスト:雨野千晴さん
 「多様性を認め合う共生社会」「インクルーシブ教育推進」といったフレーズを耳にする機会が多くなった。一方で、インターネット上では「障害者ヘイト」のような主張も目にする。そのような現状の中、共生社会を目指す上で子どもたちに必要な教育とはどのようなものなのか。障害者の当事者であり、障害のある息子を持つ母の立場でもあり、元小学校教員をしていて経験した出来事を踏まえて、私なりに考えたことを伝えたい。

うっかりADHD教員の苦悩

 私は2年前、10年間勤務した小学校教員の職を辞し、現在はフリーランスで働いている。私にはADHD(注意欠如多動症)という障害がある。さらに詳しくいうと、その中の不注意優勢型というタイプである。つまり、非常にうっかり者なのだ。

 子どものころからなくし物、落とし物が多かった。教員生活においては数えきれないほどのうっかり伝説がある。その一つに「給食費数え間違い事件」がある。

 私が教員だったころに勤務していた地域では、給食費がまだ現金で集められており、クラス担任が管理していた。あるとき、私の数え間違いにより、全校の教員を招集してお金を数え直さなければいけない事態に陥った。多忙な教員たちの時間を奪ってしまった、その原因が自分であると判明したあの瞬間の、背筋がゾッと凍るような思いは今も忘れられない。そういうケアレスミスがしょっちゅうだった。

「できる自分像」に憧れ「助けて」と言えなかった

 さて、私には自閉症のある息子がいる。現在小学2年生で特別支援級に在籍している。

 教員をしていた私は、職業柄多少なりとも発達障害についての知識があり、彼の特性には割と早い段階で気が付いていた。そして、2歳で診断を受けたときにも、不安はもちろんあったのだが、「なんでうちの子が!?」といった絶望感のようなものはなかった。これまでに一緒に学んだ、個性豊かな子どもたちの輝きを知っていたからである。

雨野さん1拡大雨野千晴さん
 息子との日々を過ごすまで、私はなかなか人に「手伝って」「助けて」ということができなかった。今振り返って思えば、「できる自分像」みたいなものに憧れていたからかもしれない。または、仕事をバリバリすることで、人様から認められたかったのかもしれない。いずれにせよ、できないことは恥であるような気がしていた。教壇に立って、子どもたちに「失敗してもいいんだよ。」と言いながら、自分自身にはそんなふうに思えないという矛盾を抱えていた。

 しかし、息子と共に過ごし、療育施設での障害を抱える子どもたちとの出会いを通して、そんな自分の価値観は変わっていった。子どもたちと過ごす中で、何かができることとその人の幸福感は、必ずしもイコールではないと感じるようになったのだ。

 できないことがあってもいい。必要なのは、「人と比べてできないことを嘆くこと」ではなく、その人に合った「工夫」を見つけ、前進していくことなのだ。急な予定変更が苦手な息子が、手順表を使うように。私が数え間違い防止のために、ダブルチェックをお願いするようになったように。

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筆者

雨野千晴

雨野千晴(あめの・ちはる) ライター、講師、漫画家

1981年生まれ。北海道出身、神奈川県在住。元小学校教員。自閉症・児者親の会会員。36歳の時にADHD不注意優勢型の診断を受ける。うっかりな自分を楽しむ「うっかり女子会」(120人参加)のfacebookグループを運営。障害の有無に関わらずみんな違ってみんないいを体感できるお祭りイベント「あつぎごちゃまぜフェス」実行委員長。ブログ「うっかり女子でもちゃっかり生きる」。

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