高度化する動物医療 ペットのための最良の選択とは何かを考えてみた
2019年06月30日
ペットを家族と思い、特別な、個別の関係性があるなら、病気になったときに可能な限りの治療をしたいと思うのは自然な感情だろう。
私は猫のゴマをがんで亡くしてからの一時期、「最高の獣医さん」はどこにいるんだろう?と探し続けたことがある。
ゴマは灰色の毛並みのタキシード・キャット。とても人懐こく私にとって特別にかわいい猫だった。だから、彼が悪性リンパ腫であることがわかった時には、本当にショックだったし、どんな治療でも受けさせたいと思ったのを覚えている。
当時、ゴマはまだ5歳。大学病院で1年半、抗がん剤治療を受けた。毎回片道1時間もかかる距離を車で通院したのだが、彼がそれで幸せだったかは今でもわからない。
治療費も相当かかった。3桁は軽く超えているだろう(万単位で)。同じ大学病院に通っていたある犬の飼い主は、治療中の愛犬を「ベンツくんて呼ぼうかしら」と言っていた。この子には、ベンツ1台分くらいは軽くかかっているからということだった。
それはもう20年も前の話で、今では動物医療もさらに高度化・先進化し、その治療の費用はますます高額になってきている(例えば、公益社団法人日本獣医師会が2014年度に行った「家庭飼育動物(犬・猫)の診療料金実態調査」)。
早期のがんを見つけるPET検査もあるし、犬や猫から血液を採ってリンパ球などの免疫細胞を増やし、それを体内に戻す免疫細胞療法などもある。飼い主が望めば、そしてその治療にかける資源(費用と労力)を持っていれば、いくらでも病院を探し、高度な動物医療をペットに受けさせることができる時代になったと言えるだろう。
ゴマは、結局亡くなったけれど、私は次に別の猫が病気になったとき、とにかく最高の、ベストオブザベストの、トップ中のトップの獣医さんに連れて行きたかった。
高度医療を提供してくれるからと言って、それだけで満点とは言えない。動物を大事にしてくれるか、飼い主への対応はどうか?
ネットで高度動物医療を提供する病院を探すことはもちろん、行ける場所なら病院を見に行って観察してみた。
どこかに、理想の獣医さんがいるはずだと信じていた……。
私の運営するペットロスを支援する自助グループ「Pet Lovers Meeting」(PLM)のミーティングの参加者にも、高度動物医療を提供する病院で手術や様々な治療を受けた人たちが多い。それはすべて「何とか治せないか」「少しでも長くこの子(ペット)と一緒にいたい」と願ってやる治療だ。
しかし、多くの人の話を聞けば聞くほど、「いい獣医さん」さんは遠のいていった。
私たちは、価格が高ければより高度な医療を提供してもらえる、高ければそれに見合った価値がある、と漠然と思いがちだ。本当は動物病院の価格は自由診療だから、土地建物、あるいは賃貸費、施設費、人件費などで大きく左右される。必ずしも高いから高度な医療とは保証されていない。
高級なブランド品の品質はいいのかもしれない、と思うのと同じように、高額な動物医療がいい医療、と思ってしまうのは、それが「消費行動」でもあるから逃れられない面もある。しかし、高額になる侵襲的な治療をしたからといって、必ずそれが動物のためになるかわからない。これは重要なポイントだと思う。
人間が高額であまり効果が期待できないような治療をするのは、自分の意思であるけれど、動物はその治療について同意できない。それどころか、精いっぱい抵抗して嫌がることもある。
私が「いい獣医」さん、「いい動物医療」について考えを変えざるを得なかったのは、もう1匹の飼い猫、ちびマルの存在があったからだ。
池袋で捕獲したちびマル(いつまでもチビだったわけではないが)は、白黒の日本猫らしい猫だが、性格はとびきり変わっていた。凶暴というわけではないが、とにかく何事にも独自のルールがあり、それを変えられるとパニックに陥る。人とのコミュニケーションも極端に苦手。猫に「自閉症スペクトラム障害」があるのか、医学的な見解は知らないが、その行動からすると、ちびマルは明らかにその傾向のある猫だったと思う。
家の中の物の配置が換わっただけで、動きが止まってしまう。古くなったラグを取り換えたりしたら、それだけで1カ月はそこを避けて通る。
いつも必ずお風呂のプラスチックのふたの上で寝ていたのだが、一部が傷んだのでやむなく別のふたに取り換えた時は(もちろん注意深く似た物を選んだのだが)警戒して半年間、そのふたの上には戻らなかった。
夫のひざの上に乗れるようになったのは、なんとうちに来て10年経ってからだ(ある日、突然ひざの上で数分間はじっとしているようになった)。
というわけで、この猫はともかく病院に連れて行くことさえ困難だった。最初の去勢手術と予防注射以来、結局、ほとんど動物病院に連れて行くことができなかった。それくらい病院を怖がる猫だったのだ。何度か病気を疑って、普通の猫であれば絶対連れて行く状況でも、「ちびマルは連れて行くこと自体がかわいそうだ」と夫に止められた。
猫のストレス要因ランキングがいろいろ発表されるが、常に「動物病院に連れて行かれること」と「掃除機などの家電の音」がトップを争っている(例えば「ねこのきもち」2017年10月号『猫のストレスランキング25』 監修:麻布大学獣医学部動物応用学科介在動物学研究所講師 大谷伸代獣医学博士)。
そのことを十分わかっているからか、最近の動物病院では「いざという時のために、ペットを病院に慣れさせることが大事です。何もなくても定期的に病院に連れてきてください」という方針のところも結構あったりする。
もちろん、動物病院も戦略的な努力をするのは当然だし、その方針を否定するつもりはない。犬の飼い主の中には「(病院でおやつがもらえるので)うちの子は病院が大好きで喜んで行くのよ」と言う人も確かにいる。
けれど、もしちびマルが生きていたら、その方針は「迷惑だ!」と激しく叫んだことだろう。これは偶然かもしれないが、ちびマルは20歳と半年まで長生きし、最後も老衰で、私のベッドの横で眠っているうちに逝った。うちの歴代の猫の中でも最も長生きだ。
私は「いい獣医さん」に対する考えを変えなければならなかった。
日頃から動物病院に通い、健康診断をして病気の早期発見、早期治療に務める……。
そういうのが今日の動物医療が描く理想の飼い主とペット像で、それでこそ「ペットは健康で長生きする」というビジョンを多くの獣医師も疑っていないように思える。しかし、少なくとも私の前には、ほとんど動物医療に関わらなかった1匹のほうが、他のどの猫より長生きしたという事実が大きく横たわっている。
実は、「健康診断のつもりで受診したのに……」という話を、PLMのミーティングの参加者や、ボランティアの関係で話した飼い主たちから、近年たくさん耳にするようになった。
見た目はどこも悪くないのに、健康診断でほんの少し基準値の幅から外れた数値が出て、原因を特定するためにさらに検査をし、エコー、CT、腰椎穿刺(ようついせんし)とやってみたが、結局わからず。それでステロイドを投与したら腎臓が悪くなり、動物の食欲がなくなって、結局体力が戻らず……。こういった話が、意外なほどたくさんある。
もちろん、現代の動物医療の高度な技術を否定するつもりは毛頭ないし、臨床の現場としては正しいデータを把握して診断することが重要だということは理解している。そのためにはCTやMRIによる検査は欠かせないことなのだろう。
けれど私たち飼い主は、体の小さなペットたちにとって、多くの場合、全身麻酔を必要とする「検査」の負担は、人間が想像する以上のものなのかもしれないということを、考えなければいけないのではないだろうか?
そして、もう一つ。たとえ病名が判明しても、そのペットの年齢や状態によっては、どのような治療行為もできない可能性があるということを考えておくことが必要だ。
とにかくペットを助けたくて必死になっている飼い主の前では、獣医師もとりあえずそのことを先送りして、まずは「検査をしてみましょう」となってしまうことが多い。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください