「最高の獣医さん」はどこにいるんだろう?
高度化する動物医療 ペットのための最良の選択とは何かを考えてみた
梶原葉月 Pet Lovers Meeting代表、立教大学社会福祉研究所研究員
定期的に病院に連れて行くことがいいのか?
私が「いい獣医」さん、「いい動物医療」について考えを変えざるを得なかったのは、もう1匹の飼い猫、ちびマルの存在があったからだ。
池袋で捕獲したちびマル(いつまでもチビだったわけではないが)は、白黒の日本猫らしい猫だが、性格はとびきり変わっていた。凶暴というわけではないが、とにかく何事にも独自のルールがあり、それを変えられるとパニックに陥る。人とのコミュニケーションも極端に苦手。猫に「自閉症スペクトラム障害」があるのか、医学的な見解は知らないが、その行動からすると、ちびマルは明らかにその傾向のある猫だったと思う。
家の中の物の配置が換わっただけで、動きが止まってしまう。古くなったラグを取り換えたりしたら、それだけで1カ月はそこを避けて通る。
いつも必ずお風呂のプラスチックのふたの上で寝ていたのだが、一部が傷んだのでやむなく別のふたに取り換えた時は(もちろん注意深く似た物を選んだのだが)警戒して半年間、そのふたの上には戻らなかった。
夫のひざの上に乗れるようになったのは、なんとうちに来て10年経ってからだ(ある日、突然ひざの上で数分間はじっとしているようになった)。
というわけで、この猫はともかく病院に連れて行くことさえ困難だった。最初の去勢手術と予防注射以来、結局、ほとんど動物病院に連れて行くことができなかった。それくらい病院を怖がる猫だったのだ。何度か病気を疑って、普通の猫であれば絶対連れて行く状況でも、「ちびマルは連れて行くこと自体がかわいそうだ」と夫に止められた。
猫のストレス要因ランキングがいろいろ発表されるが、常に「動物病院に連れて行かれること」と「掃除機などの家電の音」がトップを争っている(例えば「ねこのきもち」2017年10月号『猫のストレスランキング25』 監修:麻布大学獣医学部動物応用学科介在動物学研究所講師 大谷伸代獣医学博士)。
そのことを十分わかっているからか、最近の動物病院では「いざという時のために、ペットを病院に慣れさせることが大事です。何もなくても定期的に病院に連れてきてください」という方針のところも結構あったりする。
もちろん、動物病院も戦略的な努力をするのは当然だし、その方針を否定するつもりはない。犬の飼い主の中には「(病院でおやつがもらえるので)うちの子は病院が大好きで喜んで行くのよ」と言う人も確かにいる。
けれど、もしちびマルが生きていたら、その方針は「迷惑だ!」と激しく叫んだことだろう。これは偶然かもしれないが、ちびマルは20歳と半年まで長生きし、最後も老衰で、私のベッドの横で眠っているうちに逝った。うちの歴代の猫の中でも最も長生きだ。

特別気難しく、しかし長寿だったちびマル=梶原葉月さん提供
検査の負担感やストレスも考えて
私は「いい獣医さん」に対する考えを変えなければならなかった。
日頃から動物病院に通い、健康診断をして病気の早期発見、早期治療に務める……。
そういうのが今日の動物医療が描く理想の飼い主とペット像で、それでこそ「ペットは健康で長生きする」というビジョンを多くの獣医師も疑っていないように思える。しかし、少なくとも私の前には、ほとんど動物医療に関わらなかった1匹のほうが、他のどの猫より長生きしたという事実が大きく横たわっている。
実は、「健康診断のつもりで受診したのに……」という話を、PLMのミーティングの参加者や、ボランティアの関係で話した飼い主たちから、近年たくさん耳にするようになった。
見た目はどこも悪くないのに、健康診断でほんの少し基準値の幅から外れた数値が出て、原因を特定するためにさらに検査をし、エコー、CT、腰椎穿刺(ようついせんし)とやってみたが、結局わからず。それでステロイドを投与したら腎臓が悪くなり、動物の食欲がなくなって、結局体力が戻らず……。こういった話が、意外なほどたくさんある。
もちろん、現代の動物医療の高度な技術を否定するつもりは毛頭ないし、臨床の現場としては正しいデータを把握して診断することが重要だということは理解している。そのためにはCTやMRIによる検査は欠かせないことなのだろう。
けれど私たち飼い主は、体の小さなペットたちにとって、多くの場合、全身麻酔を必要とする「検査」の負担は、人間が想像する以上のものなのかもしれないということを、考えなければいけないのではないだろうか?