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認知症施策は誰のため?(上)

認知症当事者を追い込む偏見の解消を

町亞聖 フリーアナウンサー

「認知症カフェ」でおしゃべりを楽しみながら悩みを打ち明ける参加者ら=三重県松阪市の南勢病院デイケア棟

何のための誰のための認知症施策なのか?

 「年金をもらっているかは自分には分からない」こんな発言を平気で出来る政治家が国家財政を握る財務省のトップにいるのがブラックジョークではないのが恐ろしい。年間63億円の予算をかけて国民に郵送している「ねんきん定期便」の存在も知らないのだろう。老後2000万円問題が国会を揺るがしているが、人生100年時代を生き抜くためには年金も介護も避けては通れない切実な問題であり、せめて他人事ではなく“自分事”として考える反面教師にするしかない。

 2060年に1000万人を超えると言われている認知症。その頃には人口は1億人を切ると推計され日本国民の1割強、高齢者の3人に1人が認知症と向き合うことになる。政府は団塊の世代が75歳を迎える2025年までに70歳代での発症を“10年間で1歳遅らせる”という数値目標を掲げる認知症施策推進大綱の最終案を発表した。予防の数値目標を掲げたのも初めてのことだったが、約3週間でこの数値目標を撤回するという前代未聞の大失態を演じることに。当事者からの反発を予想外と思っている関係者がいたらそれこそ予想外である。

 残念ながらこの大綱をまとめた官邸主導で招集された有識者会議に当事者は入っていなかった。しかもこの有識者会議はわずか3回しか開催されていない。非公開で行われた有識者会議の一回目の会議開催の際にそれぞれの委員から意見書が提出されているが、全ての委員が予防を全面に押し出していたわけではなく、行動を極度に制限するような非現実的な予防策は普及しないと釘をさした委員もいたし、予防を強調することで認知症のマイナスのイメージを助長すると懸念を示した委員もいた。

 認知症当事者の皆さんがワーキンググループを結成し「自分たちのことを自分たち抜きで決めないでくれ」と声を上げたのは2014年のこと。そして「暮らしやすいわがまちをいっしょにつくっていきます」という“認知症とともに生きる希望宣言”を昨年公表している。認知症になったら何も出来なくなるという偏見や誤解をなくしていきたいと行動する彼らの訴えに真摯に耳を傾けなかったから起きたとした言いようがない。

予防目標撤回により大綱が注目されたことが唯一の功績という皮肉

 実は予防に関する政策が出されたのは今回が初めてではない。2006年の介護保険法改正の時にも介護費用の増加による財政圧迫を懸念する政府が“新予防給付”を制度化し、介護予防重視型システムを導入している。介護度の軽減を目指す介護予防プログラムにスポーツクラブ大手や教育事業者などが相次いで参入することになった。ただし、この時も予防のエビデンスが希薄で不明だと現場からは疑問視する声があがっていた。

 「予防と共生」を「共生と予防」と子供だましのように順序を入れ替え最終的にまとめられた大綱に目を通したが、

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