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認知症施策は誰のため?(下)

色々な人がいることが暮らしやすさにつながる

町亞聖 フリーアナウンサー

愛知県で開かれた認知症カフェ。参加者は認知症の介護経験などの話をしていた

認知症の人が持つ能力をかつては見誤ってきた・・・

 “できれば認知症にはなりたくない”と多くの人が思っているから予防が注目を集めてしまうし、診断が絶望に繋がっている現状がある。その中で「薬だけが医療ではなく、診断テストの結果が全てではない」とはっきり言い切るのは東京慈恵会医科大学精神医学講座の繁田雅弘先生だ。症状の進行と共に低下する機能はあるが、薬以外のケアの質はここ10年で確実に向上し、適切なケアや支援を受けることにより本人の不安が解消され、精神的に安定することで笑顔が増えたり、意欲、興味、関心などが高まることで改善し得る機能があることも分かってきている。

 繁田先生は検査前に有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」の時代とは違うことや、どの本に書いてある認知症の症状よりも良好な経過をたどるはずなので大丈夫ですと声をかける。また診断テストの点数の良し悪しは日常生活を続けていく上でさほど重要ではないこと、旅行に行っても本人が忘れてしまうので連れて行った甲斐がないという家族には、旅行に行く目的は温泉の名前を覚えるためではなく、大切なのは行って楽しむことであり余韻を楽しむことだと医師として自信を持って今は伝えているとのこと。

 そんな繁田先生も「心身に障害がある人や認知症の人が持つ能力を自分もかつては見誤ってきた」と自戒する。認知症の烙印を押され自信を喪失している時に重要なのは、専門職が誰よりも当事者の可能性を信じること。認知症になっても本人と家族が当たり前の暮らしが送れるように力を発揮するのが自分たちの役目であり、真の認知症予防は診断予防ではなく生活がしづらくなることを予防すること、そして本人と家族の不幸を予防することだと指摘する。

色々な人がいるからこそ、暮らしやすく住み心地が良い街

 日本では5万人を超える認知症の人が精神科病院に入院させられているという“共生”とはほど遠い異常な事態が長年放置されている。しかも人間の尊厳を侵害する身体拘束は無くなるどころか増加していることも厚生労働省の調査で明らかになっている。

 「医学モデル」から「生活モデル」への転換は認知症ケアの現場では常識だが、大綱では認知症の行動・心理症状(BPSD)への対応について、症状によっては本人の意思に反したり行動を制限したりする必要があると書かれている。この記述は精神科病院への入院や身体拘束を容認することに他ならず、病院から地域へという世界の流れに逆行する時代錯誤な内容である。世界に発信するのであれば“身体拘束ゼロ”を目指すと掲げて欲しかった。

 身体拘束ゼロを目指す運動に取り組む病院は何十年も前からすでに存在しているし、障害者や高齢者を社会から排除・隔離することなく“共生”により当事者が持っている能力を引き出しているコミュニティもある。安倍総理も視察に訪れたこともある石川県金沢市にある高齢者も障害者も大人も子供も“ごちゃまぜ”に暮らす街“Share金沢”だ。先日、Share金沢を立ち上げた雄谷良成さんにお会いする機会があり話を伺った。

 人口減少により過疎化が進み消滅可能性都市に指定される自治体もある中で、石川県小松市ではここ10年で約20世帯も世帯数が増えているという。きっかけとなったのは

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